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日本百名山

甲武信岳


甲武信岳を南北に縦走
日程 1995年07月15日〜16日
山名 甲武信岳
山域 奥秩父
入/下山地 西沢渓谷/梓山
メンバー 単独行


塩山駅=西沢渓谷−木賊山−甲武信小屋−甲武信岳−千曲川源流遊歩道−梓山−秋山=信濃川上駅

 前の週予定していた同コースを雨のため順延にし、今週どうにか行くことができた。 梅雨の合間の山行である。当初予定では入山地が梓山で下山地が西沢渓谷であった。 しかし、それだと前夜からの夜行となるので、朝出て行ける塩山経由西沢渓谷からの コースにした。後からわかるのだが、それはとんでもないコース取りであった。ガイ ドブックでも西沢渓谷からの登りは殆ど紹介されていない。なぜなら、西沢渓谷から 甲武信岳までは殆ど直登で平地なし休憩地点なし眺望はほとんどなし、標高差1300M を延々5時間登り続けなければならないからである。
 ということで、横浜線、中央線と乗り継ぎ塩山からバスで西沢渓谷入口へ着いたのは、9:40。バス停周辺には2カ所駐車場がある。ここから先は車両通行止め。国道140号線の雁坂トンネルに向かう立派な高架(建設中)の下を通り、渓谷沿いを歩く。真新しい公衆トイレを通過し、やがて右手に甲武信岳入口が見えてくる。甲武信小屋の主人手製のものと思われる道標である。ここからいきなり急坂である。ものの一分であえいでくる。後ろから中年の男性が迫ってくるが、2度目の小休止で見事抜かれてしまう。未だかつて登山で人を抜くことはあっても抜かれる事はなかった。私の体力が落ちたのか、その中年男性がただ者ではないのかはわからない。その後の猛烈な追い込みにも関わらず、追いつくことはできなかった。
 途中には硅石採掘場跡があるらしく、登山道には古い軌道が露出している。屋久島のそれとは違い、使いものにならなく、ほとんどが山の中に埋まっている。しばらくすると白い石灰石様の石がごろごろしている。それがきっと硅石なのであろう。当時何に使っていたのだろうか。標高1869Mあたりにあるはずの硅石採掘場跡は確認することができなかった。
 12:05、1900Mを越えたあたりの登山道の端に座り昼食にする。賞味期限の切れたコンビニおにぎりである。

 14:25、雁坂峠からの尾根道と合流。6分ほどで一等三角点の木賊山(トクサヤマ)に到着。真新しいベンチがあり、初めてまともな休憩をとる。眺望はないが、ここから数分も歩くと地質が一変し樹林帯から抜け、甲武信山頂や国師や金峰をみごとに見渡せる地点がある。

 15:00、甲武信小屋に到着。けっきょく休憩込みで5時間かかった。コースタイムは5時間20分だから。そんなに遅いペースではないことになる。
 甲武信小屋で素泊まり料金3800円を支払う。しばらく小屋の前のいすに座り休憩していたが、夕食(自炊)の時間までかなりあるので、甲武信岳へ行ってみることにする。山頂へは次の日の朝行く予定だが、天気の保証がないので、晴れている今のうちに行くことに損はない。小屋から10数分で甲武信岳山頂である。カメラだけを持って山頂へ登った。山頂は「日本百名山甲武信岳山頂」とかかれた大きな柱が目立つ。晴れてはいるもののもやで眺望はあまりよくない。しかし、奥秩父の山並みはよく見える。金峰山の五丈岩などはすぐにそれとわかる。
 甲武信小屋へ戻り夕食の準備に取りかかる。20数人の泊まり客のうち、自炊は私だけの様である。山中の利便性は私の望むところではないので、山小屋は素泊まりにするものと決めている。
 2階の寝床は結構な広さで、一人分のスペースもかなり広い。布団が引いてあるがその上に寝袋を広げ、横になる。しばらくすると、小屋の食事の用意ができたようである。宿泊客はみんな降りていった。食堂ではNHK衛星の「百名山」の番組を上映しているようである。聞き慣れたテーマソングが聞こえてくる。こんな山奥でも衛星だけは受信できるからなのであろう。何本か流していたがいずれも奥秩父の山であった。
 いつの間にか寝てしまい。夜中にふと起きると屋根に雨の降る音がする。明朝の下山が思いやられたが、朝にはすっかりあがっていた。朝食を済ませ、再び山頂を目指す。途中、昨日は見られなかった富士山が雲海に浮かぶ姿が見られた。  甲武信岳山頂は昨日より眺望は悪かった。雲がすごい勢いで流れている。あと数時間で晴れるような雰囲気であったが、下山することにする。ここから梓山へは十文字越えと千曲川源流遊歩道コースがある。前者は6時間以上のハードコース、後者は4時間半のコースであるが、楽な千曲川コースを取ることにする。金峰山へ続く尾根道を10分ほど歩き、分岐から下っていく。
 まもなく千曲川源流地点で、ちょっとした広場に水源地標が立っているが、それを取り囲むように多くの地標が立ち並んでいる。××小学校の文字が多いが、さながら卒塔婆のようである。登山道はこの千曲川に沿って続いているが、源流から下って行くにつれ、左右から次々と流れが合流し、川が立派になっていく様がよくわかる。小学生たちは下流から源流に向かって歩いたのであろうが、源流から歩いた方が教育的価値は高いように思える。しかし、さすがにそれは無理だろう。千曲川は途中から信濃川と名を変え、日本海にそそいでいる。
 9:45、梓山バス停に到着。信濃川上駅行きのバスは...と時刻表を見ると、なんと次は13:05ではないか、3時間以上待ち!しかもその前は9:36発があったではないか。何たる不幸!先ほど酒屋の前で飲んだコーラの時間が恨まれる。次のバスを待つような場所もないので、とりあえず駅方面へ向かって歩くが、バスで35分かかる道のり、とうてい歩いて着くものではない。
 30分ほど歩くと秋山のバス停が見えてきた。そこにはバスの時刻表を見ている山から下りてきたらしい若者を発見。彼もバスがないことに驚いている様子であった。声をかけ、二人でタクシーで駅まで行くことにした。彼は金峰山から下りてきたそうである。近くの商店でタクシーの電話番号を聞き,電話ボックスでタクシーを頼むと10数分でやってきた。

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