満州ところどころ


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【8/21】
 いつものように朝食の前に散歩をしようと思っていたが、雨が降っていたので中止にした。部屋から歩道を見下ろすと、傘をさしている人とさしていない人は半々であった。雨はたいして降っていないのかと思いきや、水たまりを見るとけっこう降っている。こちらの人は傘をさす習慣があまり無いのだろうか。大連は水が少なく、慢性的な断水が行われているらしい。毎日シャワーを浴びる人も少ないのだそうだ。海は恵みの雨ということで好意的に受け取られると添乗員は言っていたが、そうだろうか。雨は多いがそれを貯めることができないので水が少ないのではないだろうか。大連に一本しかない川の上流で雨が降らないのだと思う。
 ホテルの食事は最上階の展望レストランでのバイキングであった。駅前で一番高いビルなので眺めが良い。食べているとレストランが動き出した。回転レストランだったようだ。回転はゆっくりなので、食べている間に5メートルほど移動しただけだった。昨日の瀋陽でのホテルでもそうだったが、こちらのコーヒーにはブラックがない。もれなく砂糖とミルクが入っているのである。通りの売店で売っているペットボトルの緑茶にしても加糖のものが多く、無糖を見つけることができなかった。飲み物は何もかも甘いので、それを避けるためには、水(さすがにペットボトルの水には砂糖は入っていない)かビールを飲むしかない。
 午前中は旅順に行くことになっている。旅順は外国人制限区域なので、ここばかりは個人では行かれない。許可を取った旅行社について行かなければならないのである。旅順までは団体行動に付いていくことにした。昨日と同じバスに乗り込み、朝から渋滞の大連市内をバスは走って旅順へと向かった。
 1時間ほどで旅順の東鶏冠山に到着。外は強い雨が降っている。皆用意が良く日本から傘を持ってきているようだ。僕は持ってきていない。とりあえず渡辺さんの傘に入れてもらい、売店で売っていれば買うつもりであった。
 旅順日露戦争記念館に入り、当時の写真や兵器の残骸、旅順のジオラマなどを見学する。日本軍による人民処刑写真などは見たことがあり、いろいろな場所で使い回されていているようだ。この地で本当に残虐行為があったかは疑わしい。

【東鶏冠山堡塁】

 1898年帝政ロシアは大連・瀋陽を租借した。ウェリチカ将校の設計により、旅順の周辺約20`あまりの東鶏冠山北堡塁はセメント、石と餅米で建てられ、厚さは1.5bで、玄関、軍官室、電話室、弾薬倉庫、兵舎などを備えていた。
 写真の穴は日本軍が爆破した痕。

 東鶏冠山はロシアの堡塁で、中国人に強制労働させて造っている。日露戦争が始まり、日本陸軍第11師団が攻略し、1904年12月18日にダイナマイトで正面爆破し、占領した。その坑道が今でも残っており、壁には無数の弾痕が残っていた。山頂には東鶏冠山北堡塁と書かれた碑が建っている。中国側の説明では、「帝国主義列強が中国で犯した甚大なる罪悪の歴史的な証」としている。

【東鶏冠山】

 東鶏冠山北堡塁は主要な戦場の一つであった。戦後1916年、日本の「満州戦績保存会」がこの碑を建てた。高さは6mで青の花崗岩で作られ、碑名は将校の鮫島重雄によって書かれた。


 東鶏冠山には、日本人観光客だけではなく、中国人ツアーも多く来ている。日本人は年配者が多く、中国人は若い人が多い。

【駕籠かき】

 利用するのは中国人が多いようだ。それにしても100元は高い。


 次の二百三高地へはバスで移動する。二百三高地の駐車場から頂上までは上り坂を歩いていかなければならないそうだ。バスを降りると、外には多くの駕籠かきが客を待ちかまえていた。長い棒二本の間に椅子をくくりつけ、担架のようにして2人で運ぶものである。往復100元と言っていたが、かなりの高額である。まさか彼らの儲けになるとは思えない。国庫にでも入るのだろうか。それを利用する人はほとんどいないが、しつこく客引きしている。

【203高地】

 旅順港を見下ろす標高203メートルの丘。日露戦争の旅順攻防戦で、ロシア軍からこの丘を奪取したことが日本軍を勝利に導いた。戦争終結後、乃木将軍により記念碑が建てられ、「爾霊山(あなたの霊の山)」の文字が刻まれた。


 二百三高地の山頂は、ガイドは30分歩くと言っていたが、10分かからずに着いた。すでに雨はやんでいて、遠く旅順港がよく見えている。旅順港に停泊するロシア艦隊を砲撃するため、この二百三高地が重要拠点となるのだが、この高地を攻略するために日本軍は一万人以上の死傷者を出したという。山頂には巨大な銃弾のような碑が建ち、乃木希典がその側面に爾霊山と書いたそうだ。中国側の説明では、「日本軍国主義が外国を侵略した犯罪の証拠と恥辱柱」としている。
 山頂の隅にはなぜか野戦砲が放置されている。記念撮影用だろうか。

【水師営】

 1905年の日露戦争終結時に、乃木将軍とロシアのセテッセル将軍が会見を行った場所。内部には会見の際の写真などが展示されている。現在の建物は復元されたもの。


 旅順三ヶ所めの観光地は水師営会見所跡。小さい小屋だが、ここで第3軍司令官乃木大将と旅順要塞司令官ステッセル中将が会見をしている。小屋自体は観光用に修復したもので、部屋の中のテーブルは当時のものだそうだ。壁一面に当時の写真が貼られ、老人が日本語でその説明をしていた。

【水師営隣の食堂】

 入口には水槽やサンプルの皿が置いてある。我々はツアーなので個別注文はせずに、コース料理を食べる。


 水師営会見所の小屋のすぐ隣にはレストランがあり、日本からのツアー客はもれなくここで食事を取ることになる。ツアーの説明では旅順田舎料理ということであったが、昨日までに食べたものとほとんど大差ないものが出てきた。それにしても種類は多く10種類くらいの料理皿が出てきた。
 出発までまだ時間があるようなので、食堂の隣のお土産屋に入った。店員は皆日本語が話せるようだ。ここで『旅順口近代戦争遺跡』という写真集を買った。はじめ値切ったが、安くしてくれない。裏に定価が書いてあり、その値段でないと売れないと言う。160元と書いてあった。日本円なら2000円で良いという。素早く計算すると、日本円の方が割安なので、円で購入。

【路面電車に挑戦】

 挑戦といわれても、路面電車くらいは日本にもある。しかし驚くべきはその料金。1元均一なのである。


 バスは大連市内へ戻る。郊外の路面電車駅の近くで降ろされ、これから路面電車乗車体験だそうだ。乗り込んだ車両は、大連駅前で見たものよりも新しく、近代的だった。とりあえず乗り込む。そろそろ、この団体行動から抜け出したかったので、添乗員さんにその旨を伝えた。すると何やら同意書のようなものを取り出し、サインをさせられた。良く読まなかったが、このあとの観光を放棄して、食事代等を返却しないということが書かれていたのだろう。星海公園近くの停留所で皆が降りて、バスに乗り換えるときに、一人でタクシーに乗り、ホテルへ戻った。
 ホテルでは、大連在住の王さんと待ち合わせをしていた。約束の時間までは30分ほどあったので、部屋で時間をつぶしてから、ロビーへ降りるとすでに彼女は待っていた。早速タクシーに乗って、テレビ塔へ向かった。観光地に行くと、その土地の一番高い所へ行きたくなるのは山ヤの習性だろうか。大連のテレビ塔は市街を見下ろす山の上にある。タクシーはその小高い山を登っていく。途中ゲートがあり、そこで車を降りてチケットを買う。再び車に乗り、登っていくのだが、おかしなシステムだ。タクシーはテレビ塔の足元に着く。駐車場はそれほど広くなく、人の気配もあまり無い。ひょっとしてここはあまり人が来るような所ではないのだろうか。上海のテレビ塔には長蛇の列ができているというのに。ともかくテレビ塔の中へ入っていく。退屈そうな案内嬢の先導でエレベーターに乗り、展望室に向かって上昇する。スピードは普通だ。そもそもそれほど高くはない。
 展望室にも人が少ない。我々ともうひとグループしかいない。しかし展望は良い。眼下に緑が多い労働公園が見える。敷地内には遊園地がある。その奥が大連駅方面で高層ビルに囲まれている。さらにその奥には大連港や黄海も見えている。

【テレビ塔から大連駅方面】

 天気が良くないのであまりはっきり映っていない。ここからの夜景も綺麗と思いたいが、中国の夜は案外照明が少ないので期待できないだろう。


 閑散としたテレビ塔を後にして、待たせていたタクシーに乗り、市内で一番大きい(はずの)書店へと向かった。友好広場から少し入ったところにその書店はあった。中国語勉強用にと、子供向けの本や辞書などを物色したが、あまり良さそうなのがなかった。すでに北京や上海でいろいろと買い付けているので、今更目新しいものも無いのだろう。CD売り場にも行ったが、品揃えが少なかった。このあたりは北京上海と比べたら、やはり都市としての規模が違うのだろう。それほどの品揃えを必要としないのかも知れない。  続いて、デパートの中に入ったり、人民路の土産物屋へ行ったり、インターネットの店に入った。

【旧横浜正金銀行大連支店】

 ロータリーの中にある中山広場の周りには満州時代に建てられた欧風建築物が並ぶ。写真の建築物は当時の横浜正金銀行大連支店、現在は中国銀行遼寧省分行。


 いつの間にか外では大雨が降っていた。風も強い。近くの料理屋に駆け込み、食事をすることにした。その店の名前は、大連野力肥牛火鍋店。帰ってからインターネットで検索したら何件かヒットしたので、そこそこ有名な店なのだろう。店は入ってすぐ水槽が並ぶ。そこで素材を選んで料理してもらうのである。いきなりで迷ったが、刺身でも食べられるというので、日本でもおなじみのヒラメとウニ、エビを選択。そして隣の冷蔵庫に並んでいる野菜皿のサンプルから3品ほどを注文。料理方法は王さんがうまい具合に説明してくれたようだ。
【大連野力肥牛火鍋店】

 新鮮な生きた魚介類をその場で調理してくれる。うまくて安い。値段は全て量り売り。水槽毎に料金が書かれている。


 テーブルにつき、青島ビール(生)を飲みながら料理を待った。まもなく料理は運ばれてきた。ウニはでかく、ヒラメは舟盛りで出てきた。ヒラメの刺身は半匹分だが量は多い。残りの半分はスープになって出てきた。エビはボイルしたものが出てきた。2人で食べるには量も多くとても贅沢だ。しかし料金は180元。どうしてこんなに安くできるのだろうか。ツアーの毎回同じような旨くもない食事をキャンセルして正解であった。
 食事を終え、王さんと別れる。これからインターネットで日本語検定の申し込みをするそうである。日本語検定は試験に合格するより、試験の申し込みが難しいという。受験人数が限られているため、ほとんどの人が申し込みすらできない状態だという。大連では日本語学習が盛んであるのに残念な話である。また今年から日本は中国人留学生へのビザ発給を大幅に減らしているが、大連には日本へ行ったこともないのに日本語が上手な若い人がたくさんいるようだ。

 ホテルへ戻るとやがてツアーの一行も戻ってきた。一息ついてから3人で最後の大連の夜を楽しむことにした。ちょうど王さんから電話があり、友達を連れて来るというので、ホテルのロビーで集まり5人で飲みに行った。王さんは日本語検定の申し込みができなかったそうだ。かわいそうに。試験会場が遠くなるが、別の日程で申し込むらしい。日本の受験生が東京で受けられないので、四国で受けるようなものだ。
 最後に日本風のラーメンを食べて大連の夜は終わった。翌日は6時半にロビー集合で大連空港へ向かう。朝食を食べる暇もない。

【8/22】
 大連空港はそれほど大きくなく、出国ロビーは混んでいた。出国手続きに進むところで金属探知器のゲートをくぐるとブザーが鳴った。寸鉄も帯びていないはずで、あり得ない。係員のハンディー探知機でOKとなり、先に進むが、よく見るとゲートをくぐる人はもれなくブザーが鳴っているようだ。どうなっているのだろう。
 売店でゆっくり買い物をする余裕もなく、慌ただしく機内に乗り込んだ。
8:15 大連発(CZ629)
11:25 成田着(日本時間)

【機内食】

 行きと同じ中国南方航空。帰りの機内食はちょっと質素だった。


参考文献:
夏目漱石『満韓ところどころ』
地球の歩き方『大連と中国東北地方』
西澤泰彦『図説大連都市物語』
Camera:SONY DSC-U30,CANON EOS 10D


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