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埼玉県の山

伊豆ヶ岳


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埼玉の高尾山?人気の縦走路を歩く
日程 2005年01月09日(日)
山名 伊豆ヶ岳
山域 秩父
入/下山地 正丸駅/吾野駅
メンバー 単独行


横浜駅(6:50)=(8:58)正丸駅−伊豆ヶ岳−高畑山−中ノ沢ノ頭−子ノ権現−(13:18)東郷神社(13:37)−吾野駅(13:57)=池袋(15:23)=(15:59)横浜
 2001年12月、JR東日本で湘南新宿ラインが開業したおかげで、横浜駅から一回の乗り換えで西武秩父線沿線の山へ行くことができるようになった。日帰りで横浜−池袋を往復することになるので、切符は都区内フリーが安い。

 西武池袋線の電車が飯能駅を出ると山あいの風景に一変する。よく見ると乗っている乗客もほとんどがハイカー姿であった。正丸駅では30人ほどが下車した。駅前にはさらに多くのハイカーが集結していた。伊豆ヶ岳は人気の山なのだろう。

【正丸駅】

 電車が来るたびに改札には長蛇の列ができる。切符は目的地まで買いましょう。
駅前には売店があり、食事ができる。しかし山へ持っていくような食料は扱っていない。


 改札を出て右手に登山コースがある。エッシャーのだまし絵のような斜めの階段を下り、線路下のトンネルをくぐる。沢沿いのアスファルト道はところどころ凍結していて滑りやすい。後ろから来たバイクが沿道の家に今頃新聞配達をしている。朝刊にしては遅いなと思ったが、このあたりは販売店に届くのがすでに遅いのだろうか。配達員は凍結で転ばないように足を地面に滑らせながら運転していた。
 左手に登山口が見えた。祠があり、大きな岩が登山道をふさぐ寸前で止まっている。車道から薄暗い杉林の中に入っていく。杉林から出ると足元には多くの雪が残っている。しかも多くの人が踏み固めているおかげでコチコチに固まっていて、氷の上を歩いているようである。あまりそれが続くと、アイゼンが必要になるところだが、やがて雪はまばらになってくる。
 女坂との分岐に到着。稜線の岩場コースは立ち入り禁止になっている。女坂は巻き道になっているから、むしろそちらの方が楽だ。巻き道入口の案内板によると、伊豆ヶ岳はチャートでできていて、浸食に対して強くゴツゴツした地形を形成しているそうだ。チャートは生物の死骸がたまって岩石になったものらしい。

【女坂との分岐】

 正面のクサリ場方面は通行止めで、右手巻き道の女坂に進む。


 巻き道から稜線に戻ると、山頂が近いことが分かる。関東ふれあいの道の石標がある。正丸駅から4.5k、吾野駅まで10.0kとある。あと10k歩くことになるので、かなりの距離である。
 伊豆ヶ岳山頂には、左手に岩に銅板をはめ込んだ伊豆ヶ岳おばさんの逝悼之碑がある。どのような人物なのだろうか。逝悼之碑の反対側に、岩場の山頂がある。日だまりになっていて、すでに何人かが岩に腰掛けて休んでいた。
 山頂からの眺望はよいとのことだったが、周りには木が多く、梢越しに眺望を楽しむことになる。夏なら葉があるので眺望は全く無いのではないだろうか。以前は伊豆まで見えたから、伊豆ヶ岳と名が付いたと言われたらしいが、突峰状の山容の意味があるアイヌ語の「イズ」から来ているという説もある。どうしてこの埼玉の地でアイヌ語なのだろうか。

【伊豆ヶ岳頂上】

 851.4m、三角点有り



 【伊豆ヶ岳頂上からの眺望】

 851.4m、三角点有り


 山頂の奥から吾野駅方面へ向かう。すぐに山伏峠への分岐がある。右手に行けば山伏峠経由で武川岳へ行く事もできる。今回は直進する。直進は天目指峠となっている。
 標高830mの古御岳の頂上にはいくつかベンチがあったので、少し休憩することにする。伊豆ヶ岳山頂は狭く人がひしめいているので、こちらで休んだ方が落ち着ける。眺望はこちらも木々の梢越しとなる。ここから天目指峠まで2.8km、吾野駅まで9.3kmとある。古御岳から杉林を下って少し登り返すと高畑山の頂上となる。

【高畑山】

 695m、ベンチ有り。


【中ノ沢ノ頭】

 622.7m、三等三角点有り。休憩不適。


 中ノ沢ノ頭を下りきると、天目指峠に出る。案内板には天目指峠の伝説が書かれている。ここの神様の一族が鰻であったが、禁を破って鰻を食べたものがおり、祟りにあって穴沢部落が土石流で流されたというものである。天目指峠の名前の由来としては、このあたりに豊富な豆柿である”アマメ”と指(ザス)という焼き畑の耕作法があわさったものであるらしい。
 峠の車道を横切ると、関東ふれあいの道の石標がある。緩やかなアップダウンの道をしばらく行くと、関東ふれあいの道の案内板がある。吾野駅から正丸駅まで全長14.5kmが「伊豆ヶ岳を越える道」となっている。案内板の横には赤い屋根の祠もある。そこを過ぎると、にわかに人のざわめきが聞こえてくる。子ノ権現が近くなり、道路脇に何十人もが弁当を広げていた。
 子ノ権現は足腰守護の神仏とある。しかし、ちょうどこのあたりから膝が痛み出していた。この痛みはその後酷くなり、4日間は階段の上り下りで苦労することになる。
 子ノ権現本殿には、参拝客が多く、巨大なわらじや鉄下駄が展示してある。眺めも良く御嶽方面の大岳が見えている。

【子の権現】

 子の権現の入口には仁王像が立つ


 子ノ権現から吾野駅へ向かう途中、御嶽神社がある。立ち寄らずに通過するつもりであったが、その境内は東郷公園となっており、東郷元帥の銅像もあるようだ。今年は日本海海戦100周年の年。そして先週登った山梨県の要害山の頂上には東郷平八郎揮毫による武田信玄生誕の地の碑があったのも何かの縁かも知れないと、寄ってみることにした。

【秩父御嶽神社入口】

 別名東郷神社。境内には日露戦争にちなんだものが数多く展示されている。


 秩父御嶽神社に入っていくと、露店から美味しそうな匂いがしてきた。目の前に長い階段が続いていて、それを登っていく。途中右の山道に入り、乃木大将の銅像を見学する。乃木大将の土台には「忠魂義魂」の文字がある。
 長階段に戻り、登り切ると、次の階段脇に防腐処理された日本海海戦で使われた機雷とロシア艦隊の砲弾が展示してある。その上の方に行くと、東郷元帥の像がある。東郷像は全国各地にあるのだろうが、これは生前に建てられた銅像としては唯一のもので、除幕式には本人も訪れているそうだ。像の近くには戦艦三笠の被弾した鉄板がある。一畳ほどの大きさに8発ほど砲弾が貫通した跡があり、海戦当時の凄まじさを感じさせる。
 公園はまだ山の上まで続いていて、東郷神社や三笠山神社などあるようだが、膝が痛いので帰ることにした。神社入り口からは高麗川や線路に沿って歩く。吾野駅に着いた頃ちょうど上り電車がやってきた。急いで切符を買い、電車に乗り込んだ。

Camera:SONY DSC-U30

NOYAMA
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