山は計画を立てずに急に行くことはできない。その計画を立てずに三連休に入ってしまったため、天気が良いのに山へ行きそびれてしまった。さすがに三日間どこへも行かないわけにはいかないので、三日目に日帰りで近場の大山へ行くことにした。
大山といえば、このホームページ上の数ある山行記録の中でもトップクラスのヒット件数を記録している。"大山"をキーワードに検索する人がいかに多いかと言うことだろう。それほど大山は人気のある山だと言える。実際、大山には幅広い世代が登って来る。東京で言えば高尾山と同じような位置づけで、高尾山と同様に足腰の弱い人はケーブルカーを利用することもできる。小さな子供から年寄りまで、そして犬までも登ってくる。県民にとっては気軽に山を体験できる場と言える。
大山の開山は、天平勝宝四年(752年)良弁僧正によると言われている。しかし山頂からは縄文式土器やすえきが発掘されたというから、ずいぶん古くから登られていたようだ。江戸時代までは女人禁制で、元服以上の男子が登山を許されていた。
山行当日の朝、山へ行くのに自宅を7時に出るというのは、自分としてはかなり遅い方である。起きたのが6時半なので仕方がない。朝食も取らずに家を出たので、伊勢原駅前でうどんでも食べようと思っていた。しかし伊勢原駅前にそのような店はなかった。しかもコンビニもなく、食料を調達できそうな店は駅前の総菜屋ぐらいだった。そこで弁当を買ったものの、駅前には弁当を食べるような場所はなく、適地までそれを持ち歩かなければならなかった。空腹で、食料もあるのに食べる場所が無いというのも珍しい状態だ。
伊勢原駅からは、日向薬師行きのバスに乗るのだが、乗り場で待っていると、隣に大山ケーブル行きのバスが来た。こちらの方は待ち行列が長く、それらの乗客が乗り込んだあとにちょうどまた次の列車の乗客がなだれ込んで来て、バスは通勤バスさながらのすし詰め状態になって出発していた。その後に、日向薬師行きのバスが来たが、こちらは乗客は少なく空席を残して出発した。バスの中で弁当を食べるようなことはせずに、15分ほどで終点の日向薬師に到着。バス停にはベンチがあることを知っていて、そこで弁当を食べるつもりでいたが、先客がいたため弁当はお預けで、そのまま歩き始めた。日向薬師は何度か訪れているので今回は寄らずに大山方面へまっすぐ向かった。
【浄発願寺の三重の塔】
浄発願寺は罪人の駆け込み寺であったらしい。
しばらく車道を歩いていると、左手に立派な三重の塔が見えてくる。最近出来たもののようだが、あまり人が寄りつきそうもないところに、よくぞ作ったものだ。その先、右手には曹洞宗石雲寺の入口がある。そこも通り越し、さらに右手には、浄発願寺奥の院の案内板がある。案内板の奥に沢に架かる橋があり、その向こうにアズマヤが見えた。弁当を食べるには格好の場所だ。ようやく朝食を食べることが出来た。アズマヤの周りには、地蔵や宝篋印塔がある。
【浄発願寺奥の院】
三重の塔の先、15分のところにある。慶長13年(1608年)弾誓上人開山の天台宗弾誓派本山。このあたりで弁当を食べた。今回のコースで一番静かなところであった。
再び車道を歩き続け、県立伊勢原青年の家の手前の左手の山道に入る。以前来たときはここを通り越し、そのままま車道を歩いたため、かなり回り道をしたことがあった。この山道は車道のショートカットで、つづらの急坂を登るとまた車道に出る。すぐ先にまた山道の入口があるので、そこに入る。今歩いている道は関東ふれあいの道で、日向から3.5km、蓑毛まで5.2kmの道標がある。
道は平坦な道になり、しばらく楽な尾根歩きとなる。樹林帯の切れ目があり、左の方に緑に埋もれた大山阿夫利神社の下社が見える。やがて見晴台(標高770m)に到着。たくさんベンチがあり、多くの人が休んでいる。目の前にはアンテナが林立する大山の山頂が見える。
【見晴台(標高770m)】
目の前に大山の山頂が見えている。
見晴台では水分を補給してから雷ノ峰尾根に取り付く。ここからが本格的な登りで、山頂までおよそ1時間急坂を登ることになる。鹿から防ぐためだろうか、木の幹にネットを巻いて保護している一帯を通過する。
山頂直下にはちょっとした広場があるり、トイレもある。このあたりでは多くのハイカーがシートを敷いて休んでいる。さながら運動会の見学席のようで賑やかだ。これから来る人は場所を確保するのも難しいようである。
【大山山頂】
日本三百名山の大山山頂、標高1242m。
階段を登って山頂へ到着する。ここも大勢の人。以前見た鉄格子の中の自動販売機はシャッターが閉まっていて利用できないようになっている。稼ぎ時なのにもったいない。
大山山頂(1242m)でも休憩することなく、下社の方へ降りていった。鳥居をくぐり、階段状の登山道を歩く。登ってくる人はまだ多く、すれ違うためにしばし停滞する。
ヤビツ峠への分岐でヤビツ峠の方へ歩こうかと思ったが、峠からのバスの便があるのか不安だったので、下社の方へ降りることにする。ヤビツ峠から塔ノ岳まで縦走することも出来るが、時間的にももう遅い。
先ほどから、ボーイスカウトの子供達が大挙して登ってきている。彼らはしきりに今何丁目かを気にしていた。下社が1丁目で、山頂が28丁目であるらしく、丁目毎に石柱が立っているので山頂までの距離の目安となっている。
下山道の見どころとして、「天狗の鼻突き岩」がある。天狗が鼻を突いてしまったという岩。岩にこぶし大の穴が空いている。そして夫婦杉。樹齢600年だがそれほど巨木というものではない。杉の前で記念写真を撮っている人もいた。
【片開きの「登拝門」】
明治初年の神仏分離まで、この門は夏の山開き大祭(7/27〜8/17)期間以外は固く閉ざされ、登山禁止とされていた。その後徐々に禁止期間は緩和され、昭和40年代に入って全面解禁となった。片開きの「登拝門」はその当時の名残を残しているのだという。
【下社】
大山神社下社。江戸時代までは多くの修験者でたいへんな賑わいだったようだ。
急な石段を下り、登拝門をくぐると阿夫利神社下社の境内に出る。境内からは伊勢原方面を見渡せるが、曇りのため靄がかっている。石段を下り、茶屋の長屋を左に見てさらに下る。道は男坂と女坂の分岐となる。このあたりは、江戸時代の末頃まで立派な仁王門があり、十二坊の建物が並んでいた。しかし安政三年(1856年)の大火で焼失したという。いつも女坂の方を下っているので、今回は男坂の方を下ることにした。今までの人の喧騒がウソのように、このコースは人も少なく静かだ。20分ほどで女坂と合流し、大山ケーブル駅の追分駅の横に出る。お土産物屋の商店街の中を通り抜けて、車道を少し下ると伊勢原駅行きのバス停に着く。
バス停の前の道は、駐車場待ちの車の長い列が続いている。駐車場は小さく、入出庫の回転は良くないため、相当な待ち時間を覚悟しなければならないはずだ。その渋滞のあおりを受けて、バスが来るのが遅れている。10分以上遅れてようやく来たバスに乗り、伊勢原駅へ戻った。