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大弥山-広島県の山

大弥山-広島県の山

日東第一形勝の眺め

日東第一形勝の眺め

【大弥山から鞆を望む】

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○山行情報
日程 2021年5月1日(土)
山名(山域) 仙酔島大弥山(西日本
入/下山地 仙酔島桟橋
メンバー 単独行
行動時間 1時間35分
歩行 距離登り下り歩数
4.3km324m324m---歩

■■■マップ

○コース(タイム)

桟橋(8:54)-(9:31)大弥山-彦浦-(10:29)桟橋

 《山概略》
 大弥山は広島県福山市にある仙酔島の最高峰の山で標高は159m。島へは鞆の浦の船着き場から1時間に3本の船が出ている。島全体が山のようなものでハイキング道が整備されているので気軽に楽しむことができる。山の各所から鞆の浦を一望することができ、風光明媚な湾の様子を堪能できる。

 《アプローチ編》
 前日は兵庫県城崎温泉の大師山を登っている。その日は倉敷に一泊し、翌早朝に高速道を使わずに鞆の浦まで移動した。鞆の浦には船着き場が複数箇所あるが、仙酔島に行くのは南東にある船着き場である。そのすぐ隣に有料駐車場があるので、そこに車を止めて船着き場へ移動した。




 《大弥山へ》
 鞆の渡船場から仙酔島までは乗船時間は5分ほど。蒸気船いろは丸を模した船だ。幕末に起きたいろは丸の船舶事故で坂本龍馬が紀州藩と談判したのが、ここ鞆の浦である。
 仙酔島の渡船場に上陸し、平成いろは丸を撮ろうとすると、船はすぐに鞆へと戻っていった。仙酔島ではまず御前山へ向かう。鞆の渡船場の係員のおすすめだったからだ。渡船場の先にある広場では清掃活動が行われていた。船内もそうだが、この時間帯では島にはほとんど観光客はおらず、地元の人が多いようだ。



 広場の左手に山に入る入口が有り、中へと入っていく。自然歩道を上っていくとまもなく展望が開けてあずま屋とともに行啓祈念碑が見えてくる。大正時代に後の昭和天皇がこの地を訪れたことがあるようだ。このあたりが御前山のピークのようだ。さらに奥へと行くと展望台があり、早速の絶景である。弁天の瀬戸、弁天島、対潮楼などを見渡すことができる。
 御前山を周遊してくるときに通過した国民宿舎の前に戻り、中弥山への道に進む。要所には指導標があるので迷うことはなさそうだ。緑に覆われた尾根を上っていくと祠が現れる。このあたりが中弥山だろうか、道標がないので分からない。さらに進むと田の浦広場からの道と合流する峠に出る。そこから登り返しで、まもなく大弥山の山頂に到着する。三角点が有り、山頂は樹林で覆われているようだが、あずま屋の方へ行くと鞆方面の展望が開けている。



 大弥山から見る鞆の浦は、入り江から山肌に沿って住宅がびっしり並んでいる。潮待ちの港として江戸時代に栄えた町だが、住宅のびっしり具合は当時からそれほど変わらない光景なのだろう。現代の鞆の浦の人々は何を生業として生活しているのだろうか。福山の街に出るには不便なはずだ。
 あずま屋のベンチで休憩してから彦浦方面へ進む。遊歩道には鞆港や植物の説明板があり、観光ガイド代わりになる。仙酔島の地質は火成岩の流紋岩で栄養に乏しいということだ。



 仙酔島の東端方面の道は通行止めのようでロープが張られている。そこから右後ろの方へ下り道が続き、海岸線に近いところまで降りると、赤岩展望台がある。標高は低いが、皇后島や沼隈半島方面を見渡すことができる。仙酔島は、仙人が天上を舞っていて、あまりに美しい景色に酔いしれ臥して島になったという伝説があるようだ。
 展望台から彦浦の浜辺へ降りていく。入り江になっていて誰もいない静かな浜だ。ここから渡船場方面へは海岸線の遊歩道を歩いて戻ることになる。遊歩道の脇は岩がむき出しで、火山活動の噴出物が積もってできた流紋岩質凝灰岩が標本のように続く。仙酔層と名付けられたものや断層もある。博物館からも鞆の浦を見下ろすことができる。



 岩礁からホテルのある浜辺に出る。緑の広場がある田ノ浦というところだ。山が見えているが中弥山だろうか。国民宿舎の脇を通り、桟橋の方へ行くと、ちょうど平成いろは丸が停泊しているのが見えた。そのまま船に乗り込み鞆へ戻った。
 鞆からは、車はそのままで歴史民俗資料館へ向かった。資料館は高台にあり、狭い路地を登っていくと到着する。入館料150円で鞆の歴史と風俗が分かる博物館である。
 

Camera:CANON EOS 90D