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日本百名山

九重山


帰省ついでにくじゅうの山へ
日程 1994年12月31日(土)
山名 九重山
山域 大分県
入/下山地 長者原/牧ノ戸峠
メンバー 単独行


12/31(土)アプローチ 【福岡〜長者原】

 福岡へは30日に新幹線で移動。実家が福岡なのでそこで一泊し、朝の6時半に家を出発、天神のバスセンターへ。
 天神バスセンターからは、くじゅう登山口行きのバスが1日2往復出ている(始発は博多駅交通センター)。年間を通して運行しており、正月でも運休することはない路線である。利用客は極めて少ない。予約制で3日前に横浜から電話で予約しておいた。料金は往復で¥5,600、私にとってはかなり便利で安いバスである。横浜駅から冨士5合目まで毎日運行しているようなものである。
 7時30分発のこのバスには10人ほどが乗り込んだ。半分ほどがヤマ屋であり、残りは湯布院への観光客であろうか。私の指定座席は1Dで運転席の真後ろである。(ちなみに帰りは1Aでほとんどバスの助手席、乗客は3人であった)客が少ないのでザックを隣の席におくことになんの引け目もない。

 バスは福岡都市高速から九州自動車道太宰府IC〜大分自動車道日田IC〜国道210〜湯布院〜やまなみハイウエイ,を通り長者原のくじゅう登山口へ、10:37分到着。

 この長者原には大駐車場とともに、バス停の目の前のドライブインには温泉風呂がある。昨年のGWに祖母山の帰りによったところでもある。
 目の前に見えるはずの三俣山は、ガスで覆われ全く見えない。食堂で腹ごしらえをし、登山開始。(11:05)

          すがもり越へ
            ↑
            ↑
  ==========) (===白水川====
  大 | |ドライブイン|↑ |    |
  駐 |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  車 |  ○
  場 |  |長者原(くじゅう登山口)
    |   ̄バス停
  _____________________
  別府へ____やまなみハイウエイ_____熊本へ


【長者原〜すがもり小屋〜法華院温泉】
 先ほどの食堂の右側を抜け、白水川に架かる橋を渡る。しばらくはコンクリートの林道が続く。この道は硫黄山採鉱場への専用道路であったが、今ではわずかでも車で登りたい登山車と、すがもり小屋への運搬車、そして最も利用頻度の高い登山者しか利用しない。

 林道を30分程歩き、尾根伝いの近道を進む。このあたりは崩壊が激しく、毎年ルートが数メートルづつずれる。黒土が泥土となり足場が非常にわるい。靴が滑って登るのにひと苦労である。
 再び林道に合流したあたりから気温が急に下がり、足場が凍ってくる。風も強く、ガスで視界も悪い。硫黄山からの硫黄の噴出場所が近く、硫黄の臭いが鼻につく。林道から別れ、岩場のルートへと進み、すがもり小屋を目指す。岩に付いた黄色いマーカーを頼りに、風でバランスを崩さぬように慎重に登っていく。
 12:20、すがもり小屋到着。峠なのでなり強い風である。小屋の壁に掛けてある寒暖計は氷点下3度であった。小屋の中に入るとすでに6人ほどが休んでいた。
この小屋は、先の台風で被害に遭い、宿泊は不可能だと「山の便利手帳」に書いてあったが、トイレは使用困難と張り紙がしてあったものの、小屋番は3人居り、みやげ物もしっかり販売している。現在宿泊が可能かどうかは分からなかった。ここは3年前の暮れに泊まっている。その時聞いた話では大晦日が最もにぎわうとのことであった。
 休憩の人たちが次々と出発していく。私は上着を脱ぎ、汗が引くのを待つ。そのあいだ中、全身から湯気が出ているのがわかる。10分あまり休憩し、出発。法華院温泉までもう一息下るだけである。

 がれ場を下ると北千里浜にでる。砂浜のようにザレ場であり、かなり広い。コースに沿ってケルンが立ち並ぶ。浜の終わりあたりの右手には猿岩と呼ばれる、猿に似た岩がある。岩に腰掛ける猿の横姿である。ガスの切れ目でちらっと見えた。

 13:15、法華院山荘に到着。素泊まり小屋である「うつぎ小屋」の利用を申し込んだら、なんと取り壊してないという。これはとんでもない誤算であった。それでは法華院に素泊まりで、と言うと、食事付きでないと受け付けないと言う。20KGあろうかと思われるザックを背負ってきて、布団に食事付きであったら、何しに来たかわからないので、バンガローに泊まることにする。今夜は1人で淋しい大晦日となるがしょうがない。3人用一泊5000円のバンガローを申し込んだ。

 日没までまだ時間もあるので、坊ヶ鶴キャンプ場の方へ散歩することにした。このキャンプ場は一面の草原でトイレと炊事場はあるものの、管理者はおらず、利用はもちろん無料である。夏は色とりどりのテントが花を咲かせるが、この時期はさすがにテント泊の強者は少なく、4張り程が張ってあった。

 バンガローに入り、今年最後の夕食。と言っても大したものではない。暖かいものがいいと思ったので、おでんである。コッヘルにおでんつゆをいれ、おでんをぶち込み、煮込む。今回は極寒冷地用のEPIのガスカートリッジを持ってきており、寒さもなんのそので、いきおいよくガスが出ている。寒冷地用の黄色のカートリッジより更に強力な、銀色のカートリッジである。エキスペディションスペシャルと書かれている。

 食事も終わり、外が暗くなってくると、バンガローの中も寒くなってくる。隙間だらけで、寒風が入り込んでくるのである。ありったけの衣料を着込み、シュラフの中に潜り込み、眠るとするがそれでも寒い。空にしたザックにシュラフの足を突っ込み、最後の手を尽くした。九州の山と言えども、ここの標高は1300M余り、気温は氷点下である。テントと違って、バンガローは気密性が全くないのでほとんど外で眠っているようなものである。

 元旦の九州の日の出は7時20分くらいである。関東より30分程遅くなる。明日は4時には起きて7時までには久住山に登っておきたい。

1/1(日) 95'初登り【法華院温泉〜久住山】

 眠れたような、眠れなかったような混沌とした頭の中で、ふと時計を見ると、5時であった。やばい、正月から寝坊である。外を見ると一面真っ白、深くはないが1CM程の積雪である。空は雲で覆われている。日の出は期待できないが、初登りは果たしておきたい。昨日のおでんの残りを温めて、これまた昨日食いきれなかったソバをぶち込み、年越したソバを食する。

 朝食を終え、急ぎパッキングをし、ワッチキャップをかぶり、マグライトを握りしめバンガローを出発。6:05 法華院温泉から久住山へは2つのルートがある。昨日と通った北千里経由久住分かれへのコースと、中岳方面へのコースである。両コースとも2回は通ったことがあるが、闇夜の中を歩くには、多少距離が長くなるが前者の方が見通しがいいので、北千里経由にする。

 暗闇の中、昨日来た道を北千里まで戻るが、岩に付けられた黄色のマーカーとうっすらと積もった雪の上にできたラッセルが頼りである。北千里は一面のホワイトアウト、といっても5M先はかろうじて見える。ここは以前の遭難事故以来、ケルンがルート上にあるが、久住分かれへの登り口までは、そのケルンをたどっていけばいいことになっている。

【 久住略図 】
        湯布院へ 
      や ‖
      ま ‖ 平治岳△
     な ‖ □長者原 1642
    み ‖  !              
   ハ ‖   !   三俣山
   イ ‖ !  △1744 ==========
   ウ‖ ! _ ==========
  エ‖   ! すがもり小屋  \  ======= 坊ヶ鶴==
  イ‖    \___ □ \ ===========
   ‖       北=       □       △
  ‖   硫黄山  == 千==       法華院温泉   大
牧ノ戸        == 里 ==       1303      船 
 ‖    星生山   == 浜 ==         山
 ‖\  △1762  !           1787
 ‖ \ 西千里浜 !           
 ‖ △--------------------!   △中岳  
 ‖クツカケ山 久住分れ↑  △    1791  
 ‖            久住山 △    
 阿蘇へ          1786  稲星山 
1774

 右手の上のほうにすがもり小屋の明かりを確認し、しばらく進むとケルンを見失ってしまった。日の出前の夜明けであったため、かなり明るくなってきた。一応感覚的に方角は分かるが、今ここで目を瞑って10回転ぐらいしたら完全に方角を失ってしまう。ちょっとやってみようかと思ったけど、命にかかわることなのでするわけがない。一旦すがもりの明かりが見えたところまっで戻りかけたところで、ようやくケルンを発見。左手から2人組の登山者が現れ、私に尋ねる。「久住別れはこっちでいいんですよねえ。」私はあくまでもちょっと迷ったことをおくびにも出さずに、「そうですよ。このケルンに沿っていけば間違いありません。」と答える。

 久住別れの手前はガレ場の登りである。後ろから吹く強い風が体を押し上げてくれて、多少楽に登れる。久住別れに到着したのは7:23。ちょうど日の出の時間であるが、やはりご来光は拝めなかった。ここから右手にいくと星生山、左手にいくと久住や中岳(九州本土最高峰1791M)になる。ガスの中、牧ノ戸方面からの来た多くの人が久住山方面へ向かっている。

 久住分れから30分ほどで、久住山頂へ。今までの強風が嘘のようにここでは風が全くない。もちろん景色も全く見えないが、初登りを果たした100人程が山頂周辺にいた。テントも何張か設営されていた。ある者はラーメンを作って食べ、またある者は標識の前で記念撮影をし、他の者は寒さに耐えていた。家族連れや学生、生徒、年寄りなど、いろいろな年齢層が来ていた。犬も大から小まで数匹いた。かなりの悪条件の下よくこんなに来たものだと感心させられた。
 気が付くと私の頭には氷霧が出来ていた。頭からの汗が気化し、髪に付いたところで凍ったものが成長したものである。

【久住山〜長者原】
 近くの人に写真を撮ってもらい、下山する。久住分れの方へ戻るが山頂を離れると再び強風が襲ってきた。風雪に耐えながら、何とか久住分れまでたどり着き、風の弱い岩陰でひと休み。すぐ近くに非難小屋があるはずであるが、既に満員御礼であろう。  久住分れから、牧ノ戸への道は1回だけ通ったことがある。その時は見事道を間違え、ヤブコギをしてやまなみハイウエイに出たことがある。よって今回は北千里からすがもり経由で下ることにする。
 しかし、いざ尾根から降りようとすると、ものすごい吹き上げである。未だかつてこんな風は経験したことがないような、目も開けていられない程の風である。すがもりコースはあきらめ、結局牧ノ戸方面へ変更せざるを得なくなった。

 牧ノ戸のコースは、これから登る人や戻る人で結構往来がおおいので、今回迷うことはないはずである。
 最初は平地が続く。このあたりは西千里浜とよばれ北千里のように砂浜状ではないが、左右の低木にできた霧氷を楽しめる。

 なだらかな下りの後は、最後の難関、くつかけ山越えがある。たいした距離ではないが、急坂を登りきる。このあたり登山者の行列が出来ており、ペースが一番遅いものに合わせられる。
 くつかけ山から牧ノ戸までは、ご丁寧にコンクリの道になっている。しかもアイスバーン状態。忍び足で下らなければならない。子供は喜びながらすべりおりるが、大人は滑り転けるものが後を断たない。わたしも初めはそろりそろりと歩いていたが、徐々に傾斜が急になってくるので、アイゼンを付けることにした。
 アイゼンを付けると恐いものなしである。コンクリートとの接触音が耳障りであるが、次々と人を抜いていき、牧ノ戸のドライブインに到着。10:07

 牧ノ戸の駐車場は満車状態。真夏並の盛況である。ベンチに腰掛け小休止。ここからバス乗り場の長者原まではやまなみハイウエイをショートカットした九州自然歩道を歩く。
 原生樹林の中の自然歩道はよく整備され、木にはそれぞれ名札が掛かっている。長者原に近づくにつれ、天気が回復してきた。

 11:15、長者原到着。まず温泉に入った。湯船から三俣の山越しに初めてご来光が望めた。
 バスの時間までかなりあったので、自然探究路を歩いた。湿原の中の遊歩道で久住の自然を紹介する掲示板が所々にある。  散歩を終え駐車場脇のベンチに腰かけていると、三俣山の山頂に架かっていた雲が完全に晴れてきた。三俣山はその名が示すように、ピークが3つで真ん中が高い。まさに形象文字としての山そのものである。真っ白の山並みが見事である。西の方には由布岳が見えた。ここから由布岳が見えたのは初めてである。

 14:54、バスは定刻に発車。乗客は私ともう一人だけ。飯田高原をバスは快適に走る。今年の初登りである久住山は無事終わった。



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