トップ | 日本四百名山 | 東海自然歩道 | 神奈川県の山 | 東京都の山  ]

南アルプス

地蔵岳

Page | 1 | 2 |

【6月7日(日)】

コース(タイム)

4:15起床−テン場出発6:50−7:45地蔵岳到着−賽の河原−オベリスク登頂−下山開始9:35−10:00テン場到着−昼食・撤収−下山開始11:30−12:30白糸の滝−15:45青木鉱泉到着

 午前4時前から、小鳥のさえずりで朝の到来を知らされる。周りのテントもざわついてきた。テントに雨音はしないので、雨は降っていないようだ。外に出ると雲がかかっているものの雨は降っていない。2つのテントに声をかけ、起床を告げた。

【朝食の風景】

 

 
 テントに戻り、自前の朝食を作って食べる。鈴木さんはジフィーズだったろうか。僕はカレーライスであるが、パックご飯の蒸らし時間が不十分で堅くて失敗。
 頂上アタックの準備をして再び外に出ると、他のみんなは昨日の鍋に残りの食材をぶち込んで食べようとしていた。牛肉がかなり残っていたので、それにうどんを加え、結構贅沢なうどんすきだ。僕もこの相伴に預かった。さらに大鍋に2Lほどのコーヒーができあがり、野戦食料状態。鍋を取り囲み、皆立ったまま食べた。

【地蔵岳目指して】

 

 
 ベースキャンプはそのままに、ほとんど空身で地蔵岳のピークへ向かった。僕のザックにはロープなどクライミング装備は忘れずに入れてある。小屋の横からダケカンバ林に入り、しばらく歩くと視界が開け、白砂の急斜面となる。顔を上げると、ガスの切れ間からオベリスクの姿が見え隠れしている。なかなか到達しない山頂にようやく到着すると、目の前にはいわゆる合掌立ちの地蔵に似たオベリスクがそびえている。いよいよここまでやって来た。オベリスクの基部周辺には地蔵がたくさん鎮座している、それらを縫うように、賽ノ河原へ向かう。オベリスクから離れないと記念撮影ができないからだ。今回の目的ひとつは、このオベリスクをバックにみんなで写真に写ることであった。

 賽ノ河原からのオベリスクの眺めはいい。後続がなかなかやってこないが、5mほどの下りをめんどくさがっているようだ。なんとか降りてきてもらって、カメラの前に並んでもらう。さて、ここからが問題である。バックのオベリスクはガスの為、なかなか撮影に耐える風景にならない。それでも比較的いい具合になったところで、撮影する。

【オベリスクをバックに】

 

 
 さて、次は雄志でオベリスクの登頂である。僕と稲葉さんはハーネス(ベルト)を着け、オベリスクの基部へと向かう。花崗岩のガレ場を歩けるところまで行ったのは、松成さん、伊達さん、稲葉さん、西村さん、毛利さん、池上さん、荘司(ま)さんら。
 稲葉さんの、「はい、行って」という言葉に僕がリードすることになり、ハーネスにロープを付け、まずは合掌岩の真下までよじ登っていく。ここからが難作業である。左右の岩の間はチムニー状になっており、ほぼ垂直で高さは8mくらい。一応上からは色あせたロープが伸びている。

【オベリスクに挑戦】

 

 
【オベリスクの頂上に立つ】

 

 
 1904年7月13日にウエストンはこのオベリスクに立っている。ウエストンは25mのロープに石を結びつけ、突端のクラックめがけて投げている。30分ほど繰り返したあげく、ようやくその石がクラックに引っかかった。『それからが決戦であった。自分を確保するために左手にロープをつかみ、身体の表面を右手の岩塔のエッジにできるだけくっつけた。そして、カタツムリのように、あるいは日本の法的手続きのように、のろのろと這い上がり始める。たいへんな苦闘である。』
 ウエストンが記しているのとほぼ同じような格好で、僕もその残置ロープにとりつき登っていく。そのロープが切れたら元も子もないが、プロテクションも2箇所ほど取る。最後は腹這いに左右の岩の間のテラスへ這い上がる。
 次は稲葉さんの登攀の番。上からはその姿を見ることはできなかったが、確保に専念。稲葉さんが上がってきてから、初めて岩の上に移動した。岩の上はいくつものボルトが打ち込んでおり、セルフビレーは取りやすい。立ち上がって、あらためて景色を見るが、ガスっていて眺望はない。しかしこの時点で今回の山行の目的が達せられた。8年前に地蔵岳に来たときは、このオベリスクに立とうなんて思いも及ばなかったものであるが、再訪して今その地に立っている。
 オベリスクのトップは10人くらいは立てそうだ。下のみんなに、「お次は〜」と声をかけると、伊達さんが登ってきた。最終的に3人がオベリスクの上に立ち、下で見守っている池上さん、西村さんに写真を撮ってもらう。下りも慎重に降りていった。最後の稲葉さんは懸垂下降を楽しみながら、ロープいっぱいの15m地点まで下降した。
 再び11人が集まり、コーヒータイム。朝方わかした大量のコーヒーが余っており、それを大テントに転がっていたポリタンクに入れて持ち上げていた。しかしそのポリタンクはコーヒー嫌いの池上さんのものでした。申し訳ない。
 出雲さんは、今夜は鳳凰小屋に泊まると言うことで、地蔵岳で別れることになった。オベリスクアタックなどで地蔵岳山頂には2時間弱滞在し、10人が鳳凰小屋のテン場へ戻った。テン場では鍋に残った最後のうどんすきをみんなで平らげ、デザートには杏仁豆腐が用意されていた。
 この時点では時折晴れ間も見え、濡れたテントを乾かすには格好の天候であった。テントを撤収して下山準備が完了。僕の荷物はかなり軽減されていた。帰りは全員でゆっくり降りていった。
 途中で雨が降り出し、再び合羽を着る羽目に。今回は雨にたたられることが多かったが、予定は何も制限されていない。運がいいと言うべきだろう。休憩しているときに純白のギンリョウソウを発見、写真を撮った。今回の道程はやたらとキノコが多い。食べられるかどうかはさっぱりわからないが、もし食べられるものなら、それを見捨てていくのはもったいない。それほどたくさん生えていた。

【コイワカガミ】

 

 
【オベリスクを振り返る】

 

 
【ギンリョウソウ】

 

 
 青木鉱泉に近づくにつれ、雨はいよいよ強くなり、鉱泉の屋根の下で小休止した後、一目散に車へ向かった。山後の温泉は、青木鉱泉ではなく、伊達さん推奨の双葉町営の温泉へ向かうことにした。名古屋から来られている松成さんとは駐車場でお別れし、残りの9人は韮崎市へ向かった。下りの林道は来たときより短く感じ、国道20号へはあっという間に降りていった。
 双葉町の百楽温泉は、地元の客がほとんどで、休憩所もあったが時間切れで利用できず、温泉のみの利用となった。町外の利用者は値段が少々高め。(いくらか忘れた!400円だったかな)
 温泉の湯船からは、すっかり晴れ上がった鳳凰三山の稜線がはっきりと見え、地蔵岳のあの象徴的な突起も見える。ここから見るその突起の15mの差は明らかで、毛利さんは15mを登らなかったことをしきりと悔やんでいた。
 温泉の駐車場では、伊達さん、鈴木さん、毛利さんと別れ、6人が双葉SAで食事を取ることになった。稲葉さんはSAはやだなあとぼやいていたが、何のことはない、酒が飲めないからであった。今回は我慢してもらって、韮崎ICから双葉SAへ。食事をして解散。八王子駅で稲葉さんと別れ、自宅に付いたのは10時ちょっとすぎだった。

参考文献:ウェルターウエストン『日本アルプス再訪』

Film:Kodak ADVANTiX100
画像処理工程:DSimageScanDual→PaintShopPro4.20J→JPEG圧縮レベル35

NOYAMA
   ホームに戻る   
NOHOU