飯豊山

日本百名山

飯豊山

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 3時を過ぎると2階建ての小屋は満員になった。それでも客は次々とあらわれる。小屋番はこの日初めての勤務で、あまり要領を得ていなかった。1〜2階とも客を押し込んで超満員になっても更に人はやってくる。小屋番が途方に暮れていると、宿泊客の一人が「小屋にどこぞの山岳会が寄贈したテントがあるはずだ。」と言い出した。そして小屋番が彼の部屋を探すと、結構大きなテントが確かにあったのである。このテントに客を回せば多少は捌けることになる。しかし困った小屋番、かれはテントの張り方など知る由もないのだ。まわりの客が名乗り出る様子もなかったので、私が名乗り出て、テント張りのお手伝いをすることにした。
 小屋のまわりは既に多くのテントが張られており、まともなテントサイトは残されていなかったが、比較的平らな場所を見つけ、10人以上は泊まれるであろうテントを設営した。
 この日は金曜であったが、梅花皮小屋は大混雑である。土曜日などどうなるのであろう。人気のある山小屋には早めに着かなければ、先着者に非常に迷惑である。山小屋は来客を拒むことができないので、全員が窮屈さを享受しなければならない。5時過ぎて超満員の小屋へ入れてくれなど言うのは考えものである。
 私の隣には2時頃山小屋に到着した2人組がいた、一人は60代、もう一人は40代であるが、飯豊山荘から石転び沢の雪渓を登ってきたそうな。青森から写真を撮りに来たのが主な目的なようで、北股から日没を撮るのだと言って登っていってしまった。私は小屋の外で夕日を楽しんだ。
 梅花皮小屋は素泊まりのみ、\1300(記録していなかったが確かこの値段)


【梅花皮小屋】



7/30(土)
【梅花皮小屋〜湯の平温泉】
 4:30、起床。梅花皮小屋での朝は雨であった。普通雨だとがっかりするものだが私はひそかに喜んだ。何と言っても昨日までの灼熱地獄から解放されるからである。しかしながら晴れ男の悲しい性だろうか、私が完全装備で小屋を出て小一時間もするとすっかり雨はやみ、にっくき太陽の奴が顔を出してくるのである。山頂の雲もみるみる引いていく、すっかり快晴という天気になるのである。6:00、梅花皮小屋を出発。
 梅花皮小屋からは、洗濯平経由のショートカットコースを選んだ。小屋から5分も登ると北股と洗濯平との分岐である。ここからは昭文社の地図では点線のコースで、「難路、滑落・道迷い注意」となっている。つい先日に湯の平からの登山客が一人行方不明のままだと聞いている。恐ろしいコースである。足下はクマザサに覆われ道を見失いやすい。
 洗濯平には何とか到着。今朝の大雨のせいか、地図上にない水場ができている。顔を洗い、喉を潤し二俣へと向かった。しかしながらここで見事に道を見失った。あわや遭難かと思ったが、目指すおういんの尾根は見えている。あそこへ一直線に向かえば尾根道に出られるはずだとばかりに道なき道を高山植物を踏みつけながら強引に突き進んだ。数分もすると尾根の上に出、道らしきものを発見。たぶんこれで良かろうと、下っていくとしばらくして二俣の標識を確認できた。このあたりも胸まである笹で、足下が殆ど見えない。しかも今朝の雨を多く含んでおり、胸から下がずぶぬれになる。スパッツをしていたものの登山靴の中にも水が入ってきており、子供の頃水遊びをした後のようにクッチャクッチャと音をならしながら歩いている。
 おういんの尾根は左右がすぐ断崖である。上空から見れば刃の上を歩いているように見えるであろう。360度見通しも良い。梅花皮岳や天狗岳、大日岳が見渡せる。すばらしい眺めである。
 中峰の手前でTシャツをしぼっていると、登ってくる夫婦がやってきたずいぶん早く登ってきたかと思ったが、途中でテント泊をしたそうな。たぶん中峰で泊まったのだろう。ちょうどいい具合にテントサイトがあり、水場もある。
 寅清水には水場があるらしいが、池があるのは気づいたが水場は気が付かなかった。不動滝の見える滝見場をすぎ、鳥居峰のあたりでは、登りも多くある。一部崖っぷちの危険な巻道も通る。次第に下りが急になってきて、くさり場があらわれると湯の平温泉はもうすぐである。鉄バシゴを下りるもういよいよ湯の平。湯の平温泉に着けばこの3日間の苦労からようやく解放される。着いたらビールをくーっと飲んでジュースも飲みまくってやろうと、そればかりを頭に体にむち打って下っていった。

【湯の平温泉】

 左の奥の方に岩でできた湯船がある

 11:00、そして湯の平温泉に到着。私を出迎えたのは湯の平山荘の炊事場であった。かまどと流しがあり、水が5つの蛇口から一斉にでている。まずは顔をあらって、荷物を山荘の中へ。90は超えていると思われる管理人に休憩料の\200-を払い、何か飲み物はと訪ねると、なななんと何もないと言うではないか。ここも単なる素泊まりのみの小屋だったのである。山荘などと紛らわしい名前を付けるんじゃない。意気消沈して待望の露天風呂へと向かう。小屋から川沿いに3分も下ると石に囲まれた湯船があった。既に数人が入っている。源泉はまさに湧き水のごとく湯が山の壁から流れ出ているのである。温度も丁度良く、2日ぶりの風呂にご満悦であった。体が火照るとすぐ横を流れる川(飯豊川)に入る。日焼けした体にはむしろこちらの方が気持ちがよい。流れが激しいので流されないようにするのに苦労する。しばらく入っていると冷たさで足がしびれてくるので再び温泉につかる。
 温泉からあがり、昼食を作って食べ、いよいよ文明社会へと目指す。

【湯の平温泉〜加治川治水ダム】
 湯の平温泉から加治川ダムまでも結構な山道である。風呂に入ったばかりだが汗が噴き出してくる。ここでは温泉に入りに来たであろう何人もの人とすれ違ったが、彼らはほとんど挨拶をしてくれない。

【吊り橋】



 夏のみ架かるという吊り橋を通過し、湯の平から一時間あまり歩くと加治川ダムに到着。所狭しとびっしり車が並んでいる。ダム関係の車両もあるがほとんどが湯治客であろう。今日おういんの尾根ですれ違ったのは3組4人だけであった。それ以外は温泉目当てだと思われる。駐車場には2屯トラック2台分もあろうかと思われる巨大なごみ箱があった。山盛りのゴミが積んである。すべて温泉客のゴミであろう。私のザックのゴミはもちろん持ち帰りである。

 さて、この加治川ダムからバス停のある東赤谷までが問題である。アスファルトの道が続き、徒歩3時間となっている。ヒッチハイクという手もあるがバスの時間までおよそ3時間あったので歩くことにした。
 歩き始めて、これがまたたいへんだと言うことが分かった。渓谷沿いの道は丁度太陽の方向を向いており、再び灼熱の直射日光の下を歩く羽目になった。たまに通る車は砂塵をまき散らし呼吸を困難にし、足にはまめができていて一歩一歩がいたい。夢遊病者のごとくひたすら単調な道をあるく。いけどもいけども道は続く。途中道の横の沢で頭から水をかぶり涼をとる。

【加治川治水ダム〜横浜】
 2時間も歩いただろうかようやく加治川治水ダムの公園が見えてくる。小屋が見えたので、すわ自動販売機があるかと近づくと単なるトイレであった。コーラが飲みたい!
 バス停まで3分の2しか歩いていないが既に限界。公園駐車場でどっかと腰を下ろし、車が通りかかったのでバス停までをお願いする。運ちゃんはダムの工事関係のひとであった。加治川ダムから東赤谷まで歩くつもりだったと言うと、「無謀なことを」と言われてしまった。車の中は快適である。歩く20倍以上のスピードで進んでいく。赤谷の町まで乗せてもらった。
 赤谷からバスで新発田駅へ。18切符で帰ることも可能だがこの3日間未だかつてない苦難を味わった身、最も楽な方法で帰ることにする。
 新発田から特急いなほ14号で新潟へ、そこから緑の新幹線あさひ326号で東京へと向かった。余談であるが新潟からの新幹線の乗客はみな一様に競馬新聞を読んでいた。異様な光景であったが彼らは皆、新潟競馬で勝利を得た人たちであろう。
 東京で東海道に乗り換え、横浜からバスに乗り無事帰り着いた。

End



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