|
七面山−日本二百名山 七面山−日本二百名山 お題目響く急登の参道 お題目響く急登の参道 【三時間登ってようやく和光門】
コース(タイム)横浜(4:40)=羽衣(7:52)−(10:25)敬慎院−(11:09)七面山(11:26)−敬慎院−影響石−(14:08)角瀬=羽衣=(15:05)なんぶの湯(15:48)=(17:37)足柄SA(19:50)=(21:58)横浜
《山概略》
駐車場から歩き始め、車道を奥へと進んだ。すぐ右手に登りの車道が分かれているのでそちらに進む。少し上ったところにも駐車場があったが、そこは満車だった。観光バスもとまっていて、客の帰りを運転手がヒマそうに待っていた。 宿坊だか売店群を抜けると鳥居があり山の上に向かって階段状の坂が続いているのが見える。そして百人以上の白装束軍団が固まって説明を聞いている。これから始まる長丁場の急登に対しモチベーションを上げているのだろうか。 その集団の中に分け入って群れを突破した。この参道は白装束の集団だけではなく一般人も多く登っている。しかもこの時間で下って来る人も多かった。上で泊まって朝早く降りてきたのだろうか、それとも早々にあきらめて引き返したのだろうか。 【屋根付きベンチ】 表参道には至るところにベンチがあるため休憩に事欠かない。屋根のないベンチは座る部分が汚れているので、屋根のあるベンチが重宝する。 この山で人とすれ違うときは、独特の作法があるようだ。普通は、「おはようございます」や「こんにちは」というものだが、ここでは「ご苦労様です」という言葉をかけられることが多い。都心に近い山では挨拶自体が少なくなったが、ここでは誰もが気持ちよく挨拶をしている。 表参道の登りは地図で見ると急坂となっているが、実際にはつづらになっているため、思ったほど急ではない。しかし、登り一辺倒で距離は長くなる。道脇には時折、白い石灯篭が現れ、何丁目か書かれている。下から一丁目で順にカウントアップされ、山上にある敬慎院が五十丁目であるらしい。気づいたときは九丁目で、あと五倍もあるかと思うと気が遠くなる登りである。
肝心坊という休憩所を通過する。屋根の下にベンチがあり、大勢が休めるようになっている。売店もあり、飲料も売っているがさすがに山の値段である。このような休憩所として中適坊、晴雲坊と続く。 道脇にほとんど花は咲いていない。そのかわり南無妙法蓮華と書かれた小旗が何本も刺さっている。紙でできているので雨が降ると溶けるようになっているようだ。この日は雨の心配はないが、雨以上に汗で体がずぶ濡れである。汗を拭いたタオルを絞ると、ぼたぼたと水滴が落ちる。 数百人の白装束集団を追い抜き、その差を広げているのだが、しばらくは「南無妙法蓮華」の合唱が聞こえる。声を出すのはけっこう体力がいるものだが、彼らは余計に疲れることだろう。 あたりにガスが立ちこめると、立派な山門が見えてくる。それをくぐり、奥へと進むとにわかにガスは晴れ、青空が見えてくる。清めの水場で手を洗い、左手の斜面を登ると見晴台に出る。正面に富士山が見えるとのことだが、真っ白で何も見えない。 《山頂へ》 見晴台の後ろが敬慎院への入り口のようだが、まずは山頂へ行くため奥へと進む。七面山々頂と書かれた道標に従い、右に曲がり樹林帯を抜け出ると広場に出る。奥には荷揚げ用のケーブル駅があるようだ。そして目の前に七面山の山頂らしき盛り上がった山が見えてくる。案外近く見えるが山頂はもっと奥なのだろう。地図で確認すると山頂までは1時間は歩かなければならないようだ。あとから分かるのだが、表参道を歩いていた多くの人々は誰一人として山頂まで登る者はなく、五十丁目の敬慎院がゴールで終わっている。あれほど賑やかだった表参道の登山道は、稜線の登山道に変わると人の気配もなく静かな森の山道となった。
修験道の表参道歩きとは違い、稜線歩きは気持ちの良いものになった。クマザサや針葉樹の柔らかい緑に囲まれながらのんびりと歩いた。途中、ナナイタガレと言われる大崩がちらっと見えた。七面山は東側の山肌がごっそり崩落している。今でも進行しているその崩落は、そのうち山頂部分にも達するのではないかと思えるほど山頂に接近している。山頂までは大崩の縁あたりを歩くことになるが、崖に近づかないようにロープが張ってある。 七面山(1982.4m)山頂は、そこだけ樹林が伐採され広場になっている。広場の中央部分に三角点と方位盤、山頂を示す標識がある。まわりは樹林で眺望は全くないのになぜ方位盤があるのだろうか。七面山の稜線をさらに南に進むと八紘嶺があり、梅ヶ島温泉へ下ることができる。今回は車があるので縦走はできないが、北参道を下って周回コースを歩くことになる。 《北参道を下る》 山頂でしばらく休憩し、来た道を戻った。敬慎院への階段を下ると立派な萱葺き屋根の建物が建っていて、五十丁の石柱もそこにあった。敬慎院はなぜかあまり人の気配がしない。数百人の白装束軍団や一般の登山者はどこに行ったのだろうか。敬慎院の裏手には一の池があるが、そこへは立ち寄らずにそのまま奥へと進み、奥の院の方へ向かった。途中左手に二の池が見えた。
このあたりは車が通れるような道が続いているが、下から道はつながっていないはずだ。車両を何台かみかけたが、ヘリで持ち上げたのだろうか。奥の院に到着し、影コウ石という巨岩がすぐ横に鎮座している。曰くのある岩のようだ。 奥の院の休憩所でお茶を頂き、北参道を歩き続ける。道は林道から山道に変わる。この道にも丁目の標識があり、気づいたときは三十五丁目だった。その標識の前にはカゴが置かれ、小銭が満載されていた。 北参道には三ヶ所の宿坊がある。明浄坊を通過し、安住坊には県指定天然記念物の大トチノキが樹高25mの高さで立っている。 木々の隙間から角瀬の集落が見えてくる。しかしまだ丁目の数は多い。黙々と下り続けてようやく一丁目の標識を通過する。真っ赤な鳥居をくぐり、墓地の前を通り抜けると神通坊がある。右手の坂を下ると今朝車で通った通りに出る。このあたりはタクシー会社が少なくとも2社有る。最初に目に入ったタクシー営業所でタクシーに乗り、羽衣の駐車場まで行ってもらった。料金は1160円、歩くとコースタイムで1時間20分の距離だった。
《温泉へ》 七面山には麓に七面山温泉があるようだが、公共の湯が無さそうなので、東名ICまでの道すがらで見つけることにした。当初は、「門野の湯」に行くつもりだったが、詳しい場所が分からず、そのまま道を南下した。そしてJR身延線に沿った道を走っていると、「なんぶの湯」と書かれた看板が目に入った。聞いたような名前だったので、その看板に従い右折するとすぐ右手にその温泉施設があった。なんぶの湯は南部町の施設で、以前来たことがあったが休館の為入ることができなかったことを思い出した。 温泉に入り、汗まみれの体からようやく解放された。しかし、これから横浜での長い道のりが待っている。富士川SAから高速に乗り、駒門PAで食事を取った。大井松田で事故渋滞12kmとなっていたため、足柄SAで渋滞の解消を待っていたら、渋滞はみるみる延び30km以上となってしまった。高速料金1000円均一なので、下道を走るのはばからしい。そのまま渋滞に突入し、6時間以上かけてようやく自宅に帰り着いた。
Camera:Canon IXY 910is
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| |
ホームに戻る |