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北京から西安へ-中国 北京から西安へ-中国 北京から夜行列車で西安へ 北京から夜行列車で西安へ 【個性のある兵馬俑】
コース(タイム)
【11月19日(土)】 【仏香閣】 石基台の上に立つ高さ41m、八角形の塔。乾隆帝の創建。 銅獅が守る東宮門をくぐり中に入る。門の扁額は好緒帝直筆らしい。入場客はほとんど中国人だが欧米系の人たちの姿も見られる。道なりにぞろぞろと進んでいくと、大きな湖が広がる。湖の右手には、万寿山があり、頤和園の象徴でもある仏香閣が見えている。しかしあろう事か、その仏香閣は、改装中なのか足場で取り囲まれている。せっかくの風景が台無しである。中にも入れそうになさそうだ。湖の左手には遠くに美しい十七孔橋が見える。 【十七孔橋】 右手の南湖島と繋がれている。。 湖に沿って万寿山の方へ歩いていく。十七孔橋とは反対の方向なので、十七孔橋へ行くためにはまた引き返してこなければならない。そのため、遊覧船もあるのだが、この日は湖の水位が低く、遊覧船は出ていないようだ。冬場はいつもそうなのかは分からないが、これから更に寒くなると湖は凍るだろうから、いずれにせよ遊覧船は動かない。冬場に頤和園へは行くべきではないかも知れない。 万寿山の麓まで来ると、長廊がある。長さは728mあり、ほぼ直線である。柱の梁には全て色彩豊かな絵が描かれている。長廊を半分ほど歩くと、排雲門となる。門の奥には排雲殿や仏香閣があるが、やはり工事用の壁で囲まれ中に入れないようだ。湖側には「雲輝玉宇」と書かれた碑楼がある。
排雲殿に入れないので、湖沿いに歩き続けると、山の方へ登る道があったので登ってみる。少し登っただけでも眺めは良い。画中遊の扁額がある建物のところまで歩いて戻る。 万寿山の西端に遊覧船乗り場があった。本来ならここから十七孔橋がある南湖島へ渡るところだが、船が出ていないのでどうしようもない。渡船口の先に、石舫があり、その奥に遊覧船が地面の上に繋がれていた。そのまま北の方へ歩いていき、蘇州街へ向かった。 蘇州街へ行く途中、四大部洲と智慧海という仏教建築群に立ち寄る。万寿山の山頂に建つ建物なので、北側の眺めが良い。智慧海の壁にはたくさんの仏像がはめ込まれているが、どういう訳か頭部が削り取られている。文化大革命の仕業だろうか。それとも単に金目当てに盗み取ったものだろうか。
蘇州街は、あの蘇州を模した商店街で、水路の両脇にたくさんの店が並んでいる。しかしこの水路も水が涸れており、(行ったことはないが)蘇州の面影はない。店と水都の間の通路は狭い部分があり、水路側は手すりなど無いので落ちたらたいへんである。しかも水がないので、下まで三㍍ほどある。店は観光客向けのもので、飲食店や土産物屋がある。その中で絵で名前を書いてくれる店があり、名前を書いてもらうことにした。料金は10RMBだったろうか、けっこう丁寧に書いてくれる。一画一画、絵に意味があるらしく、説明してくれた。金が貯まるだの、長生きするなど言っていたようだ。昼食は、蘇州街の食堂で、包子と炒飯を食べた。 円明園は清朝の離宮跡で、円明園、万春園、長春園の3つの庭園からなる。アヘン戦争時代に英仏連合軍に破壊、略奪されたそうで当時の面影はない。しかし、長春園の奥に西洋楼跡があり、破壊されたギリシア建築の石柱などが残されている。ガイドブックの写真にはそのような破壊された石が掲載されている。完成された建物より、破壊された建物の方が興味があり、今回訪れるきっかけとなった。 【洋館の模型】 かつて建てられていた洋館の再現模型が一つ一つ展示してある。なぜか丸まったお札が多数アクリルケースの中に貯まっているが、5mmほどの穴からねじ込んで入れたようだ。 【大水法】 西洋楼遺址区の大水法。当時は噴水で、破壊されたギリシャ風の石柱や彫刻が至る所に転がっている。それでも修復が進んでいるそうだ。 この円明園で英国とフランスの連合軍が略奪したネズミとウサギの頭部のブロンズ像2点が2009年2月25日夜、パリの競売で計3140万ユーロ(約39億円)で落札されている。落札したのは中国人で、代金を払うつもりはないとしている。150年を経て諍いはつきない。 西洋楼遺址区を見学し終わるころには、だいぶ影が長くなり気温も急速に落ちてきた。市内の中心地に戻り、夕食は火鍋で暖まった。
Camera:SONY DSC-U40,CANON EOS 10D
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