TOP > 中華圏放浪 > 厦門 

厦門-中華圏放浪

厦門-中華圏放浪

厦門でまさかの山登り...

厦門でまさかの山登り...

【胡里山砲台】

628x250

旅行情報
日程 2009年01月16日-19日
滞在地 厦門・福州
レート 13.52円/元(厦門)
費用 フリーツアー:54,800円+15,310円(TAX)
成田往復:6,300円
現地使用:1,361元 (合計106,410円)

コース(タイム)

横浜(16日)=成田(9:45)=(13:30)厦門(17日7:25)=(11:30)福州=福清(18日14:20)=厦門(19日)=成田=横浜

 福清からのバスが厦門のどこで降ろされるか不安だったが(厦門には長距離のバスターミナルが二ヶ所ある)、昨日と同じ松柏汽車站だったので一安心。ホテルに戻ったときにはすでに夜になっていて、すぐに食事に出かけた。
 タクシーで行った先は宝龙珍宴酒楼。高級レストランの趣だが、料金は庶民的であるらしい(あくまでも日本人の感覚)。店内は広いが、半分以上が結婚式の披露宴の宴会が占めていた。ここで食べきれないほどの中華料理を食べて店を出た。
 中国に来て必ず行くのが本屋である。その街の地図やCD、DVDのたぐいを買い求めるためである。このとき訪れたのは外圓厦門書城という大型の書店だった。中国ではたいていビル丸ごとが本屋というものが多い。日本人の方が本を読みそうだが、日本には書籍専門ビルはあまりお目にかかれない。わが町横浜には全くない。外圓厦門書城は2008年にオープンしたばかりで、近代的なガラス張りの正面入り口が通りに面している。ここで、厦門の交通地図と映画のDVDを購入した。
 引き続き、別の店にハシゴし、電気専門店街のようなところでCDとDVDを購入。もっとうろうろしたかったが時間切れでホテルに戻った。

【1月19日】
 厦門の最終日。帰りは12時にホテルのロビーに集合となるので、それまでに再び厦門市内を観光することにする。6時半開始の朝食バイキングを速攻で食べ、タクシーに飛び乗り、行き先を南普陀寺(nan pu tuo si)と告げる。初日に行きそびれた場所である。まだ朝早いためか渋滞の影響はなく、タクシーはスムーズに進んだ。鐘鼓山隧道という長いトンネル(全長1161m)を出た最初の交差点が南普陀寺の入り口だった。トンネルをくぐるということは、そこに山があるということで、あとでその山に登ることになるとは、そのときは知るよしもなかった。


【南普陀寺】

 入場料3元(6:00~18:00)、無休
 厦門島の南西にある。唐代に建設された仏教寺院で初名は普照寺。広大な敷地に多くの殿がある。

 南普陀寺は朝早くから地元の人たちが参拝に来ている。入場券を買って天王殿をくぐった。寺の中には多くの仏像が安置されているが、いずれも全身金ピカだ。中国人の派手好みの表れだろうか。日本の素朴な仏像と比べて対照的だ。中国の仏像の前には多くの生花や供物が供えられている。
 寺院内には素斎館という精進料理を出す店がある。壁にメニューが貼られていた。けっこう種類が多く、ひと皿20元~30元定度だ。
 石畳の通路を奥へと進んだ。山の斜面に敷地があるので階段を上りながら徐々に上の方へ登っていく。どこまで奥に続くのだろうと思いつつ、突き当たるまで進むことにした。巨大な佛の文字を通過し、石で挟まれた狭い通路をすり抜ける。振り返ると厦門の町並みが見渡せるほど登ってきたようだ。大きな岩には法界の文字がある。見晴らしのよいところに先代住職だろうか、舎利塔が立っている。

【佛の文字】

 佛の大文字は厦門のガイドブックや旅行のパンフに必ず出てくる。南普陀寺の象徴だろう。


 石段の登りは続く。この調子だと山頂まで続くような気がしてきた。参拝客はすでにとぎれ、時々ジャージ姿で運動を終えたという感じで人が降りてくる。かなり登ったところでコンクリートでできたトーチカ跡が階段横に現れた。日本軍が造ったものだろうか。説明書きはない。そのトーチカからさらに登ったところが山頂だった。山頂には物見櫓のようなあずま屋があり、売店となっている。そこで数人の人民が休憩していた。この山の名前がわからず、道標でもないかと探したが見つけられなかった。しかし、三角点のような指標はあった。山頂付近にもいくつもトーチカがあり、海に向かって眺めがよい。遠く見えるのは台湾領の島だろう。台湾本島から離れ、中国本土のすぐ近くに台湾領があるのは不思議だ。

五老峰からの眺め
【五老峰からの眺め】
   五老峰の三角点
【五老峰の三角点】

 帰国してから調べると、この山は厦門八景のひとつで五老峰というらしい。GPSの標高は194mだった。山は台湾相思樹(アカシア)で覆われているという。五老峰から下山して、胡里山砲台へ向かった。
 南普陀寺を出て、地図を見ながら道を歩いた。道は厦門大学に続いているようで、いつの間にか大学の敷地内を歩いていた。まわりは若者だらけだ。この日は月曜日なので講義があるのだろう。かつて廈門大学では魯迅が教官として勤めたことがあり、魯迅記念館があるようだが、場所がわからなかった。

【厦門大学の洒落た建物】

 厦大寝室楼という。学生寮だろうか。


 厦門大学白城校門を出ると海沿いの通りに出る。左に曲がり路側帯を歩き、白城公交車站を通過し、四車線の通りを横断する。海側には広い遊歩道があり、ビーチが広がる。泳いでいる人が数人見られた。中国では健康のために真冬でも海水浴をする中高年がよく見られる。
 遊歩道から木桟橋に変わり、ビーチを歩いていく。胡里山砲台の場所がわかりにくかったが、やがて駐車場が見えてきた。そこには観光バスが止まっていたので、胡里山砲台が近いことがわかった。煉瓦造りのアーチをくぐるとチケット売り場があった。

【胡里山砲台】

 入場料25元(7:30~18:00)、無休
 南普陀寺から歩いて移動できる。厦門大学の敷地を通り抜けて15分くらいの場所にある。  胡里山砲台は1891年から5年かけて造られた。

 あまり期待してなかった砲台跡だが、入場料を取るだけあって、砲台の規模は大きく、大量の砲が展示してあった。目の前には海があり、眺めも良い。時間をかけてゆっくり散策したいところだ。
 胡里山砲台の中でもひときわ大きな砲が、ドイツ、クルップ社製の大砲である。砲径28cm、砲身長は13.96m、射程距離は約16kmだそうだ。かつてこの砲を試射したとき、その振動で周辺の家々は倒壊し、牛は1尺も飛び跳ねたという。そして1937年9月に日本艦隊が厦門に向かって進撃したが、砲台の猛烈な反撃によって撃退したと、日本語で説明が書かれていた。この砲が生涯に撃った弾の総数は、試射で2発、日本艦隊への1発が全てで、合計わずか3発だったそうだ。
砲台モニュメント ホテル付近の通り
 【砲台モニュメント】
 【巨砲】
 【ホテル付近の通り】

 胡里山砲台を出て通りに出ると路線バスのターミナルがあった。まだ時間があるので、タクシーではなくバスでホテルに戻ることにした。幸い、先日利用した松柏汽車站行きがあるので、それに乗って終点まで行くことにした。10分ほど待つとそのバスがやってきた。料金は先払いで1元。日本のバスの20分の一程度の料金だ。安すぎる。
 バスの窓から厦門の綺麗な町並みを眺めていると、30分ほどで松柏汽車站に到着した。ホテルまでは多少遠回りして、閩燃超市(MINRAN MARKET)というスーパーで買い物をした。

【ホテルの前の通り】

 ホテルの周りは住宅街だが緑が多い。歩道は木陰になるので真夏でも涼しそうだ。緑の奥にはコンビニや超市がある。


 中国では2008年6月からビニール袋の過度な使用を制限するためのレジ袋の有料化が実施されている。昨日本やDVDを買っても袋には入れてくれず、商品むき出しのまま渡された。この日は小物を数点買ったので、袋に入れてもらったら料金は2角追加となった。日本ではまだ徹底していないレジ袋の有料化だが、CO2削減に消極的だと思われている中国が意外なところで対策しているのは大したものである。
 予定通り12時にホテルのロビー集合で、フリーツアーの客がバスに乗り込んだ。とりあえずこれで無事に日本へ戻れそうだと思いきや、事件が発生する。バスがホテルの前から通りに出たところで、止まっていたタクシーに接触する事故が起きたのである。その一部始終をバスの中から見ていたのだが、すぐに運転手同士が口論になった。お互いが自分が悪くないと主張しているのだろう、数分間口論は続いた。この状況がどう収拾するのかと思いきや、バスの運転手はおもむろに100元札を取り出すと、タクシーの運転手にそれを握らせて、バスの運転席に戻ってきた。タクシーの運転手は不満そうだが、それで一件落着のようである。タクシーはバンパーに少し擦り傷が付いただけで大したことはないようだった。バスは大した時間ロスもなく空港へ向かった。

Googleでコースと撮影場所を確認する

Google マップで開く(軌跡のズレ有り)
Google Earth で表示(Google Earthがインストールされていること)

Page:  1   2   3   4 
Camera:Canon IXY 910is

NOYAMA
   ホームに戻る   
NOHOU