1997年GWの記録

1997年GWの記録

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4月29日

 【山 名】 坊ヶ鶴(キャンプ)
 【山 域】 九重
 【日 程】 1997年4月29日(火)〜30日(水)
 【天 気】 快晴〜雨
 【入山地】 長者原
 【交 通】 車

 朝の6:30、福岡の実家を出発し、太宰府ICを目指すが途中寄ろうと思ったガソリンスタンドがどこも閉まっている。高速のSAで入れるつもりはないので、やっとこさ開いているスタンドを見つけたときには、太宰府ICを越えていた。走り慣れた国道を日田方面へ進み、甘木ICから高速に入った。以前走ったときは日田までしかつながっていなかった横断道路だが、今は別府の方までつながっている。

【長者原ドライブイン】
 大駐車場があるが、シーズンともなるとすぐに満車となる
左の建物の2階が温泉風呂となっている。200円と銭湯より安い。
後方の山は泉水山


【ガイド犬 平治号】
 平治号秋田犬は昭和48年ごろ、このくじゅうに住みつきました。以来登山者とともに山歩きを楽しみながらくじゅうの登山コースをすべて覚え、登山者をガイドしてきました。山中で迷ったり、濃霧や吹雪に遭い、立ち往生した登山者を誘導して、無事に下山させたことも数多く平治号の活躍は多くの人々から賞賛されました。
登山者たちに愛され、かわいがられた平治号も、老衰のため昭和63年6月にガイド犬を引退、同年8月3日静かに永眠しました。
くじゅうを、登山者をこよなく愛した平治号の声が聞こえます
「くじゅうを美しく
  今日も安全登山を」と
平成元年6月飯田高原観光協会

〜碑文より〜

 駐車場の脇にひっそりとたたずんでいる。後方は三俣山。


 10:10、長者原出発。天気は快晴。坊ヶ鶴まで紫外線を遮るような樹林帯などないので、半袖のTシャツでは日に焼けてしまう。  蒸気が噴出している硫黄岳のあたりを人が歩いている。あのあたりは進入禁止のはずだ。  ガレ場を登り返してすがもり峠に到着。ここには有人小屋のすがもり小屋があり、よく「あめ湯」を飲んだものだ。しかしなんと、小屋は廃墟と化していた。閉鎖したなんて聞いたことはなく、いささかショック。避難小屋としても利用できないようである。北千里の遭難者を助ける愛の鐘も何処へやら。九重の有人小屋は法華院だけになってしまったようだ。
【法華院温泉山荘】
 ここの温泉は、標高1303mの九州ではもっとも高い所に湧き出る温泉として知られ、泉質は単純硫化水素泉で動脈硬化症や高血圧症などに効くといわれています。ここは、約500年前に天台宗の修験場として九重山法華院白水寺が建立され、修験僧の出入りでにぎわいを見たが、明治になると廃寺となり、本坊だけが残る由緒あるところです。現在は、雄大なくじゅうの山々が望める山の温泉宿として、山男の疲れをいやす秘湯が人気を集めています。



12:06 坊ヶ鶴到着 坊ヶ鶴
【僕のテントと三俣山】
 後方のオレンジのテントはどこかの学生パーティだが、夜中中どんちゃん騒ぎで周りの人は大いに迷惑した。彼らが静かになった後、天がお怒りになり、雷鳴とともに大雨が降り始めた。



【僕のテントと大船山】




【僕のテントと平治岳】




4月30日
 昨夜から雨が降り始め、朝も降り続いている。テントの底はウォーターベットのように波打っている。テントの周りが水たまりになっているようだ。防水のしっかりしているテントなので浸水はまぬがれた。予定していた大船登山を取りやめ、帰ることにする。
 雨が池経由のコースで長者原まで戻る。ドライブインの2階は温泉になっている。朝10時前ではあるが入れるところがいい。もちろん他に客はいないので広い湯船を独占してくつろぐ。

【雨が池】
 昨夜来の雨で池となった。湿地帯で木道ができている。



5月1日
 GWはまだ半ばであるが、諸々の事情で横浜へ帰ることにする。福岡の実家を朝出発し、徳山まで国道を走る。山陽自動車道から中国自動車道を経て名神高速へ。
【比叡山】
 草津SAより、琵琶湖を挟んで比叡山が見える


5月2日

恵那山行記

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