満州ところどころ


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【8/20】
 翌朝、ホテルの部屋の窓から外を見ると、すぐ隣では高層ビルが建築中だった。朝6時前だというのにすでに多くの人が働いている。朝早くから働いているのではなく、夜通し工事をしていたようだ。中国はよく夜中でも建設工事を行っている。大量の人夫を24時間投入すると工期はあっという間だろう。中国の発展のスピードが感じられる。
 まだ朝早いので、団体集合の時間までに瀋陽駅に行くことにした。今回のツアーでは、瀋陽駅は車中見学だったため、写真が撮れなかったからだ。旧日本時代の遺産として瀋陽駅はじかに見ておかなければならない。ホテルを出て、昨夜買った市内マップを見ながら歩いた。道ばたには意味不明なモニュメントや、路上の自転車修理屋などがある。
【自転車修理屋】

 交差点の歩道で店を営んでいた。瀋陽にも自転車が多いので、ニーズはあるのだろう。


 ロータリーの中山広場では、サーベルを振り回している人や、踊っている人、タイル張りの地面に水筆で字を書いている人など、北京でもよく見かけた光景が広がっていた。瀋陽駅までは意外と距離があり、50分ほどかかってようやくたどり着いた。東京駅と同じデザインだというレンガ造りの瀋陽駅は、満州時代は奉天駅として建てられている。

【瀋陽駅】

 1932年から1945年まで現在の瀋陽は奉天と呼ばれていた。この駅も奉天駅である。


 瀋陽駅からホテルまではタクシーで戻った。瀋陽のタクシーは今まで行ったどの都市よりも安く、初乗り7元。瀋陽北駅まで11元だった。
 ホテルで朝食のバイキングを食べ、集合場所のロビーへ。バスに乗り込み、市内最大の総合公園である北稜公園へ向かった。こちらは昨日の故宮よりも広い敷地にあり、綺麗に整備されている。最初の門をくぐると、広大な敷地が広がり、次の門が遙か彼方に見える。200mはあるだろうか。ここからは電気自動車で移動する。15人乗りの電気自動車は60人の団体をさばくため、5台必要となった。しかし電気自動車は複数台で回しているようで、程なく全員が乗車完了。
 電気自動車から降りて少し歩くと昭陵の入口となる牌楼がある。古い門で8本の支柱で支えられている。
【北稜】

 北稜公園は瀋陽最大の総合公園で、面積は332万u。入場料は通し券で18元。6:00〜19:00
 写真は碑亭。

 正紅門をくぐると、通りの左右に動物の像が並んでいる。像やラクダ、馬、キリン、ライオンなど。それぞれ意味があるそうだ。

【北稜宝頂】

 宝城の中心に宝頂があり、その下にホンタイジとその皇后が埋葬されている。


 奥まで行くと壁に四角いレリーフのようなものがある。ここがこの稜の主であるホンタイジが眠っている墓の入口だそうだ。1651年の完成以来開けたことがないという。後ろの階段を登っていくと墓の上が円墳状に盛り上がっているのが見えた。そこだけ草木が生えていないが、粘土でできているからだそうだ。頂上に生えている一本の木はご愛敬だろうか。
 城壁の上にある隆恩殿の石畳は、当時金箔が貼り巡らされていたらしい。よく見ると、ところどころ、粒の金が見える。当時の栄華が偲ばれる。

 昼食はバスに乗って市内のどこかのレストランに入った。

【瀋陽北駅】

 駅ビルはオフィスになっているようだ。1階に我らが吉野家とマクドナルドが入っている。今回、吉野家で食べるチャンスはなかった。


 食後は大連に移動である。ツアーのバスは瀋陽北駅まで行き、乗客を降ろす。駐車場から駅まで人でごった返す中を我々は列になってぞろぞろと歩く。周りの人たちはこの奇妙な集団がよほど珍しいのか、先頭の添乗員が持つツアーの小旗と我々を交互に眺めている。人混みをかき分け、駅舎の中に入り、待合室に入る。中国の駅の待合室は列車毎に別れていて、更に硬座(安いチケット)と軟座(高いチケット)に分かれる。その待遇たるや明確で、硬座の方は安っぽいベンチで、軟座の方はふかふかのソファーになっている。もちろん金持ち日本人ツアーは後者のチケットであるが、時間がないのでその恩恵にはあずかれず、待合室はそのまま通過する。
 ホームにはすでに大連行きの列車が止まっていた。14両の長い列車で、乗る車両は最後尾であった。荷物を詰め込んで、発車までまだ時間があった。いったん車両の外に出た。何か買おうかと売店を覗いたがめぼしいものはなく、機関車の写真を撮ろうと思ったが、14両先はかなり遠いのであきらめた。代わりに最後尾の写真を撮った。

【大連行き列車】

 二階建ての豪華(?)車両。指定席なのに後から乗ってくる中国人はここ空いているかと聞きまくっていた。


14:00 瀋陽北駅出発
 定刻に列車は出発。大連までは400km、4時間かかるという。かなりの長旅だ。ゆっくり走っていた列車はやがて止まった。隣の瀋陽駅に着いたのだ。この瀋陽駅が手狭になったので瀋陽北駅が始発駅になったのだろうか。
 列車のトイレは瀋陽を出発してから30分後でないと鍵が開けられず使えない。そのわけは実際にトイレを利用してみると納得する。トイレの穴からは大地が覗いているのである。要は垂れ流し。さすがに市街地でそれはできないので、郊外に出たら許されるのだろう。街と街とを結ぶ線上はひたすら広大な大地が広がる中国ならではである。
 このツアーのパンフレットはこの列車の移動で「東北の田園風景をゆっくりお楽しみ下さい」とあるが、車窓からはひたすら広大な大地が広がり、線路沿いには畑が続く(トウモロコシが多かった)。それが延々4時間近く続くのである。ときおりそれほど高くはない山が見え、ちょっとした集落や山肌に建てられた寺院などが見えたりする。
 車内ではときおり販売員が回ってくる。果物、ドリンク、光るボールペン、観光マップなど、種類に応じて売り子も違う。光るボールペンはこのツアー客には好評なようで、よく売れていた。透明なボールペンが発光ダイオードでぴかぴか光るだけの代物である。一本10元。
 列車は大連に近づく。空港の近くを通り、航空機が飛び立ったところや滑走路までもが見えていた。大連駅は街の中心に近いところにあり、車窓からは日本と変わらない都会の風景になる。
18:00 大連駅到着
 大連駅の改札を出るとき、一人のおばさんがものすごい勢いで駅員と口論していた。そして周りにはヤジ馬と思われる人垣ができている。おばさんの発する言葉は、全く意味が分からない。中国では良くある光景だ。

【大連駅前】

 Canonの広告が載るビルは今回泊まる大連華宇明珠大酒店。ここでチェックインしてくれればツアーから外れて単独行動するのだが、容赦なくバスに乗せられどこかへ連れて行かれることになる。


 中国の主要駅前はどこも人であふれているが、大連も例外ではない。人並みをかき分け、駐車場の方へ向かった。駅前には高層ビルが建ち並び、近代的だ。我々が泊まるホテルも見える。ビルの上にはCanonの広告が出ていた。今夜泊まるホテルを目の前にして、ツアー一行はそのホテルには目もくれず、バスに乗り込む。
 市内はかなりの渋滞で、バスはなかなか動かない。渋滞の中をクラシカルな車両の路面電車が走っている。これも日本統治時代の遺産だそうだ。路面電車の料金は一律1元。  バスは幹線道路を走っているようだ。どこをどう走っているのかは分からない。車窓からは道の真ん中で交通整理をする婦人警官をときどき見かける。彼女らは一様にスタイルが良く背が高い。ガイドさんの話によると、皆180cm以上あるそうで、それが採用基準だそうだ。大連には婦人警官による騎馬隊もあると言うことであった。
 また、車窓からは東大の安田講堂そっくりの建物も見えてきた。旧裁判所で現在は労働局が使っている。
 バスは坂を登っていき、郊外のレストランの前に路上駐車した。夕食である。夕食は大連名物の海鮮料理ということであったが、昨日から食べてきた中華料理と大差ない。海鮮と呼べる素材も小エビと海草ぐらいであった。今回のツアーでは全食事付きなので、本当に美味しいものを食べたいならば、ツアーから離脱しなければならない。予定では次の日の昼から単独行動を起こす予定であった。
 夕食後はスケジュール通り、大連夜景鑑賞へと向かった。夜景鑑賞といえば、小高い丘から夜景の町並みを見ることを予想していたが、そうではなかった。バスは中山広場へ向かった。夜景鑑賞は旧大和ホテルの前から中山広場へ向かって見ることになった。中山広場は、日本のテレビで大連を紹介するときに必ず映る、大連でも代表的な場所だ。朝や夕なに老人が踊っている場所という印象だ。しかし実際に見てみると、老人よりも若者の姿の方が多い。羽子のような鶏毛鍵を蹴って遊んでいる。
 ツアー客の要望により、コンビニに寄ってからホテルへ行くことになった。コンビニ程度はチェックインしてから自力で行けば良さそうなものだが、海外旅行初心者でもいるのだろうか。そもそも中国を旅行するにあたって今回のような瀋陽・大連を選ぶ人に初心者がいるのだろうか。普通は上海だとか北京のような代表的な都市を訪れてから、訪れそうなものである。日本の書店には瀋陽や大連のガイドブックは意外と少ない。それほどマイナーな旅行先なのである。しかし、バスは小さなコンビニの前で止まった。これから60人がそのコンビニで買い物するのである。店はあっという間に日本人で埋まった。私はそのコンビニの中には入らずに周りを少し散策しただけだった。
 バスが停まったときに小さい女の子が二人駆け寄ってきた。花売りの少女のようだが、ガイドはスリだから気を付けましょうと言っていた。まさかあんな小さい子が、とは思ったが、女の子の方は屈託もなさそうに日本人相手に施しを求めていた。
 今夜のホテルは、先ほど見送った大連駅前の大連華宇明珠大酒店。このホテルは以前は渤海明珠大酒店といい、新しい名前ではあまり現地の人は認識していない。後に乗るタクシーでも、この新しいホテルの名前を告げてもわからず、無線で本部に確認する有様であった。ホテルはロシア人も多くいた。観光だろうか。ロビーでガイドより部屋の鍵を受け取り、ようやく団体行動が終わる。

【友好広場】

 地球を支える5色の手は、人種の色を表しているという。


 部屋には荷物を置いただけで、3人で付近を散策することにする。ホテルのすぐ斜め向かいには勝利広場がある。広場と言っても百貨店のビルが建ち、ファーストフードの店やビアガーデンのような店がある。そこを通り抜けて中山路の大通りを渡る。この道には横断歩道がなく、車の通りも多いので地下道を通る。そこを抜けると百貨店が建ち並ぶショッピング街である。しかし時間が遅いので多くはすでに閉店している。日本の吉野家やマイカル大連商城などもあった。友好広場の横を通り、中山広場の中へ入る。中山広場の周りはロータリーになっており、けっこう車が走っている。もちろん信号など無いのでこの4車線の道を渡るのは勇気がいる。広場では暗い中まだ多くの若者が遊んでいた。中山広場から放射状に伸びる道の一つである人民路を歩いていった。香格里拉大酒店(シャングリラ)まで歩いたところでタクシーでホテルに戻った。

Camera:SONY DSC-U30,CANON EOS 10D

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