東北・北海道放浪20062006年夏、マイカーで北海道へ |
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夏休みに北海道へ渡ろうと思い立ったのは、休みの1週間ほど前のことだった。車で行くつもりだったので急いでフェリーを予約しなければならなかった。本州から北海道へ渡るフェリーはいくつかあるが、こう直前だとあまり選択肢がない。すでに満席のフェリーが多いからである。訪れる山は、岩手山と幌尻岳。それにあわせて日程や、港、フェリーの空席状況を総合的に判断し、大間港から函館港で北海道へ。そして帰りは、苫小牧から新潟へ行くフェリーを確保した。
【8月9日(水)】 東北方面へ行くためには大東京を突破していかなければならない。日中の混雑を避けるため、朝の4:00に横浜を出発。静岡沖には台風7号が来ており、大雨の中を走ることになった。この雨が東北地方まで続いていないことを祈るのだが、台風とともに北上することになるのかも知れない。 東北自動車道は、羽生ICから入り、西那須野塩原ICで下りる。ETCの通勤割引を適用するためだ。そしてしばらく国道を走り、那須ICから再び高速に乗る。夏休みのためか、休憩するために入ったサービスエリアはどこも混んでいた。岩手県に入ると高速道路からは、左手に岩手山、右手には姫神山が見えてくる。このあたりまで来ると、関東地方の雨がウソのようで、雲は多いものの晴れている。岩手山は明日の朝から登るとして、この日は時間的にちょうどよい、姫神山を登ることにした。岩手山が男神に対し、この姫神山は女神であるので(岩手山と姫神山は夫婦だったという伝説がある)、これらの山はセットで登らないわけには行かない。また、岩手山、早池峰山とともに「北奥三鎮」といわれる霊山として古くからの信仰を集めている山でもある。 滝沢ICを出たら検問。どきっとしたが、交通安全を呼びかけるもので、滝沢村主婦連の手作りという交通安全のキーホルダーとペットボトルの地元の水をもらった。国道4号を北上し、途中ガソリンを補給する。ここまで600kmほど走っている。道路標識に従い、姫神山方面へ右折する。 ▲ 姫神山登山へ 姫神山から降りて、岩手山の焼走りの湯へ向かった。車の中からは終始岩手山の姿が見えている。その目の前に見える岩手山に向かうのだが、右に大きく回り込むように道が続いていて、遠回りしているような気もしたが、カーナビの言うとおりに車を進めた。 【焼走り温泉からの岩手山】 岩手山の雲は付いたりとれたり目まぐるしい。ここから見る岩手山は富士に似ているが、西側から見る岩手山は様子が異なり、南部片富士と呼ばれているらしい。 国際交流村の駐車場は空いていた。世間はまだ夏休みではないのだろうか。焼き走りの湯は新しく、\500の料金は安い。湯船から岩手山を眺めながら、明日はこの山を登るのだと意識も高まる。登る前に温泉からその山を眺めるのも珍しいことだ。 温泉から上がり、併設の休憩所へ行くと食堂があった。夕食はここで取ることにした。まずは生ビールをぐいっとと言いたいところだが、まだ車を運転する必要があるので、そこは我慢である。メンチカツ定食(\680)を注文した。なかなかボリュームがあり付け合わせも多い。隣のテーブルでは家族連れの小さな女の子がてんぷら定食を食べていたが、てんぷらがてんこ盛りで、こっちにすればよかったと後悔する。 焼き走りから馬返しへ移動。途中、国道4号沿いには真新しいコンビニが何件もある。食料の調達には苦労しない。最初に見たコンビニで明日の朝食を買い込んだ。 自衛隊の演習所入口前を通り、岩手山に向かうまっすぐの道を走ると広い馬返し駐車場に到着する。夕方のこの時間で8台ほどがとまっている。そのうち1台の夫婦が下山してきて、12時間かかったと話していた。トイレは登山口から少し登ったところにあった。 隣にとまっている車のおじさんに声をかけると、僕と同じように明日の朝、岩手山を登るとのことで、今日は八幡平と姫神山をやってきたそうだ。姫神山では会わなかったので、車ですれ違ったのだろう。 駐車場で立っていると、ブヨや蚊が寄ってくる。車の中に逃げ込み、夕食のコンビニ弁当を食べ、この旅最初の車中泊を行った。 【8月10日(木)】 ▲ 岩手山登山へ 予定では一般道を下北半島の大間まで行くつもりであったが、時間がありそうなので高速を使って青森の三内丸山遺跡を見学することにした。三内丸山遺跡といえば、日本を代表する縄文遺跡の一つである。前々から機会があれば行きたいと思っていた。今がまさにそのときである。 西根ICから高速に乗り、青森ICで下りる。時間的にETC割引が利かないがしょうがない。移動時間は2時間あまり。三内丸山遺跡は青森ICのすぐ近くにある。係員の誘導に従い、無料駐車場に入った。遺跡の見学も無料なので、青森市では全くお金を使わないことになる。 【三内丸山遺跡】 江戸時代から知られている有名な遺跡。約5500年前の縄文時代前期の大集落の住居跡やゴミ捨て場、墓を見ると、当時の生活がかなり豊かであったことがうかがえる。 駐車場から道を挟んだ「縄文時遊館」という、綺麗な施設の中へ入っていく。ここは遺跡の入口で、通過するだけである。「縄文時遊館」を通り抜けると、縄文時代の村の跡が広がる。復元された竪穴式住居や、高床式の建物、十数bの物見櫓のようなものもある。まずは左奥の展示室に入った。出土品はこの中で展示されているのである。 三内丸山遺跡を出て、大間に向かう。国道4号線を東へ進み、野辺地からは279号線となる。陸奥湾沿いに北上し、原子力で有名なむつ市に入る。このあたりは風が強いのか、風力発電の巨大なプロペラが並んでいる。むつ市内は渋滞しているのが意外であった。そこを突破すると、津軽海峡沿いの道になる。海の向こうに見えているのは北海道だろうか。 山から下りてかなり時間がかかったが、山行後の温泉は大間に近い風間浦村で入ることにしていた。桑畑温泉「湯ん湯ん♪」という最近できた温泉施設である。ガイドブックを読んでいて知った温泉である。詳しい場所がわからなかったので、近くのコンビニで場所を聞いた。しかし、そんな温泉は聞いたことがない、と言い放たれてしまった。しかし、海岸沿いに車を走らせていたら目指す温泉の看板があったため無事たどり着くことができた。やはり本州最果ての下北半島は情報の流れが遅いようだ。 津軽海峡を一望できる展望の温泉、桑畑温泉「湯ん湯ん♪」は、入湯料(\300)も安く、併設の食堂も激安である。ざるそばが\300だった。地方の方が生活コストが高くなるのだろうが、こんなに安くて良いのだろうか。温泉は銭湯よりも安い。ただし観光客を相手にしているわけではないようで、シャンプーなどの設置はない。風呂上がりに、その安いざるそばを食べて、フェリーの出航時間までくつろぐ。生ビールを飲みたいところであるが、我慢我慢。 桑畑温泉を出る頃にはすっかり暗くなっていた。横浜ではまだ明るい時間である。そのかわり東北地方や北海道は朝が早い。街灯の少ない国道を大間港まで走った。下北半島はもっと閑散としているかと思ったが、国道などは意外と交通量が多い。 大間港に到着。係員の指示ですぐに乗船待ちの列に並ぶ。駐車場はすでに多くの車が停まっている。ほとんどが関東ナンバーである。関東から大間までのガソリン消費量は相当の量があるはずだ。首都圏から北海道へのフェリーが無いために、やむなく本州の最果てまで来ているドライバーは多いはずだ。首都圏からのフェリー就航でガソリンの消費量を相当減らせるはずで、環境にも優しいはずだ。それにしても、乗船待ちで車のエンジンをかけっぱなしにしている輩の多いこと。マスコミはガソリンの値上げを大々的に報道し、困った困ったという庶民を映しているが、実際の消費者はそのようなことは意に介していないことがわかる。 大間から函館までは所要時間1時間40分。本州から北海道に渡るフェリーの中で最短距離である。移動距離と料金を考えると、一番割高でもある。乗船中、寝るほどの時間もないので、音の聞こえないテレビを見ているうちに函館港に入港した。 函館港には予定通り日付が変わる前に到着。関東の人間がこんな夜中に函館についてどうするのだろう。自分は車中泊するために車を停める場所を探したが、なかなか適当な場所が見つからない。しかし東日本フェリーの従業員用駐車場の奥に空き地があったので、そこに停めて夜を明かした。 【8月11日(金)】 函館港近くの空き地で夜を明かし、朝食はコンビニの弁当。今回の旅行は、ご当地ものなど一切口にせず、ほとんどコンビニで調達した食料である。車で移動していると、便利さの点からもそうなってしまう。 【函館山は雲の中】 五稜郭タワーからの函館の町並み。2006年4月にこの新しいタワーは開業している。展望台の高さは90m。展望料金は\840。 五稜郭タワーの開館時間が8時であることは事前に調べていた。意外と早いのはありがたく、その時間に合わせて移動した。五稜郭タワーには駐車場がないので、すぐ近くの県立美術館の駐車場に停めた。8時までは時間があるので、五稜郭の中を散策することにした。五稜郭は公園として開放されているのである。星形のお堀のまわりでは、高校生がジョギングをしている。五稜郭の中は広場になっていて、これといって幕末当時の面影を残すものはない。特徴的な星形も、地面にいてもわからない。ちょっとした高台に登ってみても大した違いはないのである。五稜郭は空から見てこその五稜郭である。アスカの地上絵と同じだ。 【五稜郭の一部が見える】 「黒船来航」の影響で、開港した箱館に奉行所が設置された。この地の防備強化を図るため、蘭学者の武田斐三郎が五稜郭を設計した。1869年、五稜郭に立てこもった榎本武揚ら旧幕府軍に対し新政府軍が攻撃。箱舘戦争の舞台となった。 その五稜郭の星形が少しでも見えるようにと、五稜郭タワーがあるのだろう。8時の開館と同時に入館した。事前にインターネットで入手した割引券を使うことも忘れない。今のタワーは今年の4月に作り直して開業したばかりである。まだ何もかも新しく、一部は開業前だ。展望二階からは箱根の街を一望できる。半分雲に埋まった箱根山、そして五稜郭の星形の一部が見える。展望室の中では、箱根戦争をジオラマで再現しているコーナーもある。また、世界の稜堡式城郭の紹介では、オランダにその形態が多いものの、実は日本にももうひとつ存在していた。それは、長野県の佐久市にある龍岡城五稜郭である。機会があれば、いずれそこも訪れてみたいものだ。五稜郭タワーはけっこう見応えのある施設だった。 次に昭和新山へ向かう。しばらく高速がないので、内浦湾沿いの国道5号線をゆっくり走る。北海道の道はスピードを出せると思いがちだが、幹線道路は交通量も多く、最も遅い車にあわせざるを得ないのでそれほどスピードは出せない。それでも信号の数が少ないおかげで平均速度は50kmにはなるだろう。 【昭和新山を観測する三松正夫氏】 1943年、有珠岳の麓に突如として隆起した昭和新山。三松正夫は私財を投げうって、新山の成長を観察、記録した。 国道37号線から少し寄り道したところに昭和新山がある。駐車場は有料で、完全に観光地化された場所である。駐車場の外側は土産物屋が列をなしている。その土産物屋の前にある昭和新山は思いのほか小さな山で、ディズニーランドのビックサンダーマウンテンより一回り大きくした感じであった。歩いて登れば数分だろうが、入山禁止である。山のところどころから、水蒸気が上がっている。昭和新山の手前は芝生の広場になっており、昭和新山を噴火当初から観測した郵便局長、三松正夫の銅像が立っている。新田次郎の『昭和新山』を読んでいればそのあたりの事情はよくわかる。 国道37号に戻り、伊達ICから高速に乗る。苫小牧東ICで下りるが、まだ高速は続いている。無料開放の日高自動車道のようだ。カーナビにはまだこの道はなく、道なき道を進んでいる。いつまでもカーナビにない道を走るわけにはいかないので、適当なインターで下りる。鵡川町のコンビニで当面の食料を調達し、沙流川沿いの国道237号を北上する。もうコンビニはないだろうと思ったが、この国道にもいくつかコンビニはあった。国道237号から幌尻岳への林道は、カーナビでセットしていたが、カーナビが示す道より手前で右折を示す案内板があったので、そちらの方へ進んだ。細いアスファルト道がしばらく続き、その後長いダートとなる。額平川沿いの林道は路肩の先が絶壁となっているところもあり、運転を誤ると大変なことになる。途中、夕立のようなまとまった雨が降ったが、すぐにあがった。 車止めがある駐車場には16時頃到着。10台ほどの車が停まっているが、人の気配はない。駐車場には仮設トイレが二基設置されていた。しばらくすると、登山者が順次下りてきた。最初に下りてきた人に、沢や山小屋の様子を聞いた。沢の水は少なく、山小屋は満員で外のテントに泊まったそうだ。(逆に今夜はがら空きだったようだ) 駐車場はブヨみたいな、人間に危害を加える虫が多く飛び交っている。立ち話は早々に切り上げ、車の中に逃げ込んだ。そう言えば、岩手山でも同じパターンであった。まだ明るいが、退屈なので後部シートで横になっているうちに眠りに入った。 【8月12日(土)】 ▲ 幌尻岳登山へ 幌尻岳の林道からようやく抜けだし、襟裳方面に向かう海沿いの国道は渋滞している。町と町を結ぶ線は多少流れるのだが、町の中を通過するところでは特に渋滞が激しい。都心と違って抜け道がないので、ここはひたすら堪え忍ぶしかない。新冠あたりは特に渋滞が酷く、寄り道のあてもなく転進することもできなかった。しかし、温泉の看板が目に入ったため、渋滞から離れそこへ向かった。 その温泉が、新冠温泉レ・コードの湯である。駐車場は広大で、ホテルもある綺麗で立派な施設である。入湯料は法外かなと思い、まずは料金を偵察に行った。ところが\500と拍子抜けする安さだったので、この温泉に入ることにした。 三日ぶりに入る湯は気持ちが良かった。風呂上がりには、幌尻岳登頂記念に生ビールを飲んだ。もちろん酔いが覚めるまでは、車の中で昼寝をする。 今夜の宿を求めてアポイ岳のキャンプ場に向かうのだが、相変わらず渋滞は続き、浦河の町を通過するところで、ついに我慢できなくなり、目の前に見えたビジネスホテルに飛び込んだ。部屋は空いているというので、今夜の宿が決まった。そのたまたま入ったホテルは、インターネット使いたい放題で、パソコンを持ってきていたのでラッキーだった。このホテルでも食料は近くのコンビニで調達した。 【8月14日(月)】 ホテルでの朝を迎え、急に思い立って樽前山に行くことに決めた。朝6時半くらいにホテルを出発。道は空いていて、昼間の渋滞がうそのようである。気持ちよく車を走らせた。快適に走ることができる。左手はすぐ海で、たくさんの小舟が出ている。昆布を取っているようで、村人総出で作業をしている。 日高富川ICの入口にコンビニに寄り、日高自動車道の無料区間である沼ノ端ICまで利用する。あとは一般道路で支笏湖方面へ進む。樽前山の七合目駐車場には8時過ぎに到着。 ▲ 樽前山登山へ 下山後の温泉は、近くの支笏湖温泉街へ向かう。しかし温泉街の駐車場は有料である。温泉を入るだけのために有料駐車場を使うのはばからしい。車をUターンさせ、途中見つけた休暇村の温泉に入ることにした。ここには広い無料の駐車場がある。トイレもあり、静かな場所なので車中泊をするには適当な場所と言える。 休暇村支笏湖の温泉は11時からで、ちょうどその時間に入ることができた。露天風呂など無く湯船がひとつだけだが、支笏湖温泉から引いている立派な温泉である。料金は700円と北海道にしては高めだが、温泉街とともに統一料金にしたらしい。 休暇村のレストランは11:30からで、こちらも開店と同時に入る。今回の旅行で一番贅沢な、生ビールとカツ丼を注文し、窓の外に広がる森林公園の中を散策する家族連れなどを眺めながら食事をする。 駐車場の車に戻り、酔いが覚めるまで車で昼寝をする。あとは苫小牧東港から出航するフェリーの時間に間に合えばいいのである。車の窓は全開にすると、心地よい風が吹き気持ちが良い。そして何より静かだ。駐車場で無意味なアイドリングを行っている車の音だけが聞こえる。 ひと休みし、酔いも覚めてから苫小牧市内に向かう。途中、マクドナルドに立ち寄りインターネットで情報収集をする。PHSを解約しているので、今屋外でネット接続できるのはYahoo!のモバイル接続だけだ。ほとんど使わないのだが、この日のために数ヶ月前から毎月300円を払っている。情報収集といっても、ニュースを見たり、メールのチェックをしたりするだけだった。 苫小牧の東港周辺には何もない。食料を買い込むためのコンビニが必要だった。係員にコンビニの場所を聞くと20分ほど先にあるとのことだった。北海道で20分というと10km以上あることになる。浦河方面に十数キロ走ったところにようやくセブンイレブンを見つけ、食料を買い込んだ。 【新潟行きのしらかば】 新日本海フェリー。旅客定員926名、全長195.4m、展望大浴場、売店、自販機コーナー、コインロッカー(無料)、ビデオシアターなどの設備がある。途中秋田港に寄港し、新潟港まで18時間の旅。 新潟行きのフェリーは、しらかば20,558d。定刻より5分遅れた19:35に出航した。長距離フェリーは二等寝台を確保するのが必須である。今回は予約時点で確保していた。二等船室だと避難民であるが二等寝台は個人のプライバシーがとりあえず確保されている。 このフェリーの二等寝台には期待していた電源がなく、展望通路に置かれたソファーのところのしかも一箇所だけにそれはあった。出航初日にそこを確保することはできなかったので、翌朝早く(といっても6時では遅かったが)、その場所を確保し、パソコンで今回の記録を少し書いた。 【8月15日(火)】 フェリーは秋田港を経由して定刻の15:30に新潟港到着。せっかく新潟を経由するのだから、このあたりの山もやりたいところ。しかし、明日から仕事なので、速やかに横浜へ帰らなければならない。今日中に帰れるか心配したが、23時半頃自宅に到着した。新潟から7時間半かかったことになる。7日間の休日をフルに満喫した夏休みであった。 Camera:Panasonic DMC-FX9
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