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神奈川県の山

曽我山

うーん、つまらない山
山名 曽我山
山域 神奈川県
日程 2001年09月29日(土)
天気 曇り
入下山地 下曽我駅/上大井駅
メンバー 単独

 下曽我駅(12:15)−(12:25)曽我神社−(13:15)不動山−(14:24)上大井駅
 そろそろ朝晩が涼しくなってきたので、県内の低山へ繰り出すことにした。分県登山ガイドの『神奈川県の山』をぱらぱらとめくっていて、まだ登っていない曽我山が目に入った。近からず遠くもない程良い距離だ。相鉄の株主優待フリー切符を使うのにもいい機会だ。ということで、電車の時刻をインターネットで調べて綿密な行動計画(と言っても行きだけ)を立てた。
 自宅の最寄りの駅に着いたのは計画より早く、結局この早い分、本数の少ない御殿場線の松田駅で待つことになった。20分ほど待ってやってきた車両は何と2両しかなかった。この850万県民が住む神奈川県においてこのような過疎化的車両が走っているのは意外であった。しかも座席に座ることができた。目的の下曽我駅までは2駅で、途中の上大井駅は無人駅であった。さらに扉を開けるためにボタンを押さなければならないようだ。
 そんな具合で妙な田舎を経験しながら、登山口である下曽我駅に到着。駅周辺にはハイカーの姿は見られず、駅前の観光案内マップにも山の記述はない。道案内のより所は先の『神奈川県の山』である。まずは宗我神社を目指した。
 駅前から北東の方向へ歩き、県道を横切ると派出所の前に宗我神社への参道が続いていた。宗我神社は寄り道であるが寄ってみることにした。
 曽我物語:一族の所領争いがもとで、工藤祐経の家来に父親を殺された兄弟が、18年間の苦難に耐え、その仇を報じた。この事件を世に曽我兄弟の仇討ちと呼ばれた。「曽我物語」として歌舞伎や能楽・謡曲などに取り上げられ、日本三大仇討ちの一つとして有名。
 宗我神社の境内は比較的こぢんまりとしている。どういう訳か大音響で音楽を流しており、早々にその場を引き上げる。その音量たるやこの先の山の稜線からも聞こえるほどで、何事か理解に苦しむ。
 参道入口の派出所まで戻り、集落の中を山の方へ歩いているうちに、周囲はミカン畑になる。まだ青いミカンが実を付けている。コンクリートの農道を登っていくうちに、曽我の町並みが一望できるようになる。樹林帯に入り稜線と思われるところまで行くと、小さい板に不動山の文字が書かれ、右手を示している。その右手の小道に入り、ぐんぐん歩いていくがなかなか不動山の山頂が現れない。そしてほとんど人が歩かれることもない道と思わせるように何度も蜘蛛の巣を突き破る。道が下り坂にさしかかった頃に、ようやく行きすぎではないかと思い引き返す。先の分岐の50m手前まで戻ったときに不動山が左手との道標があった。こちら側に面した道標なので来るときには気づかない。その左手の道は急坂で、藪で、蜘蛛の巣の宝庫である。せっかく作った蜘蛛の巣を排除するのは心許ないが、小枝で払いながら山頂に向かう。
 不動山のピークは密林の中で、山頂を示す目印と三角点がなければ単なる山の中である。とても人が訪れそうなところでもなく、滞在10秒で引き返す。  最初の不動山と書かれた看板まで戻り、尾根歩きを続ける。道は車が通れるほどの幅があり、実際通っているようだ。しばらく歩くとコンクリートの道に変わる。
NHKのアンテナの横を通りすぎ、五差路を通り過ぎる。浅間山というピークがあるはずだが気付かずに、いこいの村まで来てしまった。尾根歩きはここまでだ。松田まで行くバス停があったが、次は2時間以上先。ここからは車道を歩いて上大井駅まで行くことになる。町の道はよく分からないため、地元の人に聞いたりしてひょうたんの駅である上大井駅までたどり着く。ここでの待ち時間は45分。ホームでボーっと待つ。


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