赤石コルに戻り、ザックを回収する。右に折れて大倉尾根を下る。水場で小休止し、喉を潤し、汗だらけの顔を洗う。登ってきた2人(それぞれ単独)と会話を交わす。
遭難碑のある富士見平まで来ると、この日のゴールである赤石小屋が見えてくる。
【富士見平から】
大倉尾根に赤石小屋、その奥には笊ヶ岳が見える。
赤石小屋:営業:7月14日〜10月15日、100名収容、1泊2食付(寝具込)7,500円、素泊まり(寝具込)4,500円、テン場:15張、600円
3時を回って赤石小屋に到着。今日登ってきた組も早々に到着しているようだ。小屋で受付を済ませ、テントを設営。ここは思ったよりテン場が狭いが、張ってあるテントは数張りで、広い場所に設営することができた。
テン場の水場は遠く、急坂を5分ほど下ったところにある。水場はホースから水が出ており、近くにポンプ施設がある。小屋はちゃっかりポンプアップしているようだ。5分下った戻りはけっこうたいへんで、空身とはいえ一歩一歩がつらい。なんとかテントまで戻り、この日の行動は終了。
【7月16日(三日目)】
コース(タイム)
赤石小屋(4:56)−(7:20)椹島(7:55)=(9:00)駐車場=(14:00)横浜
雨は一晩中降り続いていた。未明から風も吹き出し、起き出してテントをペグで固定した。テントを設営したときは、穏やかな天気で、まさか暴風になるとは思ってもいなかった。しかし、明け方にかけいよいよ風が強くなり、そのペグも役に立たなかったようだ。風の勢いでペグが抜け、ときどきテントが浮くようになった。
外が明るくなるのを待って、テント撤収。雨具をつけ下山した。
椹島までの尾根をひたすら下る。NHKラジオの「今日は何の日」では、1938年世界初の核実験が実施され、その後広島に原爆が落とされたこと。1972年には高見山が外国人として初めて優勝したことを報じていた。ちなみに今場所は、モンゴル出身の朝青龍が優勝している。
長い下りは下りっぱなしではなく、多少登る場面もある。そこでは急にペースダウン。樹林帯では何人かを追い抜く。山小屋組だろうが、ずいぶんと早立ちをしている。中には下りながら夫婦喧嘩をしている2人もいた。こちらが通過するのもかまわず、主に奥さんの方から仕掛けていて、聞いてる方が気まずくなる。
単調な下りが続き、椹島までがやけに遠く感じる。ようやく眼下に林道が見えてきて、もうすぐだとほっとする。
林道へ出る直前に、急な鉄階段を下る。林道を左に歩き、バス下車地点から山道を少し下って椹島に到着。標高1,100mとある。2,560mの赤石小屋から1,400mあまり下ったことになる。ログハウスの売店窓口で、山小屋の領収書を提出し、乗車カードを受け取る。奥のレストランでは、早々と下山した夫婦がワイン付きのモーニングを食していた。
【椹島】
バスは、6:30,8:00,10:30,13:00,14:00がある。(2006/7/16〜8/31)
8時発のバスは7:45くらいから乗車開始になった。運転手は、8時に駆け込みで乗客が来るかも知れないので、それまでお待ち下さい。といいつつも、バスの時計で7:55に出発した。バスは満席ではなかったので、ザックはひざの上ではなく、隣の座席へ置くことができた。
うとうととしているうちにバスは駐車場に到着。出たときよりも駐車場の車は倍ほどになっていた。それでも駐車場はまだ余裕がある。この連休は入山者は少なめなのだろうか。昨日は20名の団体が千枚小屋に向かっていると途中耳にした。ツアー登山は健在である。
畑薙第2ダムの近くに白樺荘という温泉がある。ところが開館は10時からで、まだ1時間近くある。ここは通り越し、道中適当な温泉があれば入ろうと思っていたが、ついに温泉はなく(気づいていないだけだろうが)、国道1号から沼津で高速に乗り、自宅へ戻った。
Camera:Panasonic DMC-FX9,Canon EOS 10D