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中国見聞録シリーズ

上海放浪記2007

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コース(タイム)

初日.夜便は着いたらもう夜中
二日目.一番近い水郷、朱家角へ
三日目.高層ビル群の浦東へ
四日目.雨が降ったら博物館へ
五日目.帰国、お土産編

【二日目】
 ホテルの朝食は7時からで遅めだ。1階レストランでのバイキングで食事をし、そのまま出かける。この日はとにかく旅遊バスの乗り場がある上海体育館の上海旅遊集散中心に行かなければならない。タクシーでは渋滞で遅くなるおそれがあったので、地下鉄で行くことにした。
 ホテルの最寄りの地下鉄は、3・4号線の宝山路駅と2号線の南京東路駅である。この南京東路駅は、以前は河南中路駅だったが、いつの間にか名前が変わっている。2007年版のマップルマガジンではまだ旧称だったので、変更は最近のことのようだ。変化の激しい上海ではあるが駅の名前まで変えてしまうのだから恐れ入る。計画性が無いともいえるが。
 乗り換えのことも考えて宝山路駅へ歩いていった。ホテルの前の道を西に進み、河南北路という幹線道路を北上する。地下鉄といっても宝山路駅のあたりは高架になっている。
 地下鉄は通勤通学ラッシュで大混雑だった。しかし上海の地下鉄の混雑は朝夕だけでなく日中でも酷いことがあとで分かる。上海体育館駅で降り、上海体育場へ向かった。上海旅遊集散中心は体育館の南にありすぐ分かった。

photo 192*128 【售票処】

 上海旅遊集散中心の中にある。その正面には案内所もあり、様々な旅行コースを紹介している。
 中国のチケット売り場はいつも列ができている印象だが、このときはタイミング良く誰もいなかった。
 

 朱家角の周遊チケット。バス乗車時、朱家角入場時、帰りの乗車時に右端から切り離されていく。そして左下の各施設の名称がそれぞれの施設への入場時に穴が開けられていく。

 バスターミナルの中にはいると正面に售票処(チケット売り場)があり、「朱家角古鎮」の1日旅行チケットを買い求めた(80RMB)。朱家角の発音が分からなかったが、このツアーの案内を印刷していたので、それを見せると意志が通じた。バスは7:30-10:30の間で30分おきに出発している。チケットを受け取るとき、次は9時出発だといわれた。しかし8時半出発まで5分あった。満員なのだろうかと思ったが、そのバスは空いていた。チケットには出発時間は印字されていないので、8時半のに乗っても良さそうだった。
 朱家角へ行くバスは、「大現円、朱家角、東方緑舟」行きで、観光バスではなく路線バスだ。朱家角は終点ではないので、ぼやぼやしていると乗り過ごしてしまうことになる。バスの乗客は10人ほど。朱家角に着くまでにいくつもの停留所に止まり客を拾っていく。一番たくさん客が降りたのは大きな病院の前だった。朱家角まではおよそ1時間と聞いていたので、50分が経過したところから、緊張感を高めながら停留所の名前を気にした。居眠りでもしようものならどこに連れて行かれるか分からない。バスは大きな駐車場に入っていき、アナウンスでもチューチャチャオと言っていたので、そこが朱家角であることが分かる。ちょうど体育館出発から1時間が経過した頃であった。
 広い駐車場のど真ん中で、バスを降りることになり、車掌から帰りは16時で同じ場所で待っとくようにと言われる。バスを降りたのは5人ほどで、数人残ったバスは次の目的地に向かって走り去っていった。
 朱家角は普通に人々が生活している街にすぎないが、街に入る部外者からは入場料を取るシステムになっているようだ。入場ゲートのところはたくさんの人が行き来している。地元の人は車道を歩き、観光客は右手のゲートを通過するようになっている。旅遊チケットを示して中へ入り、まずは地図を買おうと思った。しかし辺りを見回したがそれらしき売り子や売店は無さそうだった。いつもなら頼みもしないのに地図売りが近づいて来るものだが、ここは勝手が違うようだ。人々の流れに従って街の中を歩くことにした。
 最初の角を左に曲がりまっすぐ行くと、ちまき売りなどの露店が並ぶ。左手は公園で、上海遠古文化館がある。ここは入館料がいるが、観光チケットがあるのでそれを見せればフリーパスである。このチケットで朱家角内にある8カ所ほどの施設に入ることができる。チケットに記載されているのは、「上海遠古文化館」、「大清郵便局」、「城隍」、「円津禅院」、「稲米郷情館」、「翰林扁額博物館(阿婆茶楼)」、「上海中国水彩画展示館」、「課植園」である。それぞれの施設に入場の際、チケットにパンチで穴を開ける事になる。
 朱家角はやたらと外人が多い。もちろん日本人が多数派で、ほとんどが大手旅行社のツアー参加者で、十数人が固まって行動している。しかし欧米系はグループや家族が多く、自由気ままに散策している様子だ。フランス語やドイツ語、聞いたこともない言語が飛び交っている。

photo 192*128 【大清郵便局】

 1903年に開業した郵便局で、清代の上海にはこのような郵便局が13ヶ所あったといわれる。建物の裏手は水郷で遊覧船の船着場になっている。


 最初に向かったのは、「大清郵便局」で、幅が二メートルほどの狭い路地を歩いていく。両脇の家は、普通に生活している民家だ。今でこそ観光で成り立っている町だろうが、以前は何を生業として暮らしていたのだろうか。道はときおり自転車や電気バイクがすり抜けていく。
 「大清郵便局」では中国の郵便の歴史のような展示がされている。殷の時代の甲骨文字の展示があり、説明によると紀元前1400年に地方の軍隊が皇帝に戦況を伝えるための伝令のような者がいて、動物に骨に文字を書いてそれを送り届けたという。それが中国における最初の通信方式だったという。

城隍廟 【城隍廟】

 もともとは鎮南の薛葭浜にあったものが、1769年に現在の位置に移転。この城隍廟には劇場、大算盤、銀杏の木が三宝としてある。
 中では多額の寄進を要求する不遜な僧がいた。


 次に周遊パスが使える城隍廟へ入った。中は四合院のような作りで、正面の扁額の上に巨大なソロバンが架かっている。日本のと比べて縦の珠の数が多い。日本のソロバンは室町時代に中国から伝わったという。城隍廟のソロバンは意味不明。
 中をプラプラと歩いていたら、係員だろうか、長い線香を渡された。思わず受け取ってしまったが普通はこのような線香は有料のはずだ。まあ、入場料を取る寺なので、線香はサービスだろうと思ったのが間違いだった。その男に従って線香に火を移し、線香立てに立てる。そして、三度の拝礼。その間男は木魚のようなものを叩きながらむにゃむにゃと何事か唱えている。たぶんこの客の健康、家族の健康、そして世界の平和を業務的に唱えているのだろう。それが終わると、箱の中からクジのようなものを取り出せと言っている。もうこの時点でこれは金を取られると確信した。しかし行きがかり上、この場でこの儀式を中止することはできそうになかった。
 クジのような紙片を一枚取り出すと、奥の方に座っている別の男に引き渡された。テーブルを挟んでその男の前に座ると、男はその紙片を見るや、「おお素晴らしい、お前さんは強い運勢を持っていて、将来も安泰だ!」というようなことを言い、満面に笑みを浮かべて握手を求めてくる。いかにもインチキ占い師のパターンである。そして、ペンと紙を取り出し、つらつらと文字を書き始めた。早くこの下らない儀式が終わらないかと気が気ではなかった。男は考え考え文字を書いているようで、100文字ほどを数分かけて書き上げた。そして内容を説明しはじめたが、全く意味は分からなかった。
 ようやく儀式が終わると、男はやおら記帳の冊子を取り出し机の上に置いた。さあ、ここに名前を書いて金を払ってくれと言う。金額は自由だが、ここには前に来た人の金額が記載されている、戸指さした先には650という数字が記入されていた。650RMBと言えば1万円ではないか。中国人民の一ヶ月の平均給与よりも多い金額である。そんな法外な金額をくれてやるわけがない。そこで、5と言う数字を書こうとしたが、このような巧妙な詐欺を仕組んだ彼らに負けを認める意味でも、50と大奮発した金額を記入した。男はそんな金額は安すぎる、と表情に表したが、さっさと金を払ってその場を立ち去った。日本の神社でも100円以上の金を賽銭箱に投入したことがないのに、異国のわけの分からない寺で800円も寄進するのは痛恨の極みであった。

photo 192*128 【放生橋】

 朱家角のシンボル的存在の橋で、全長72メートル。慈門寺の僧が寄付を募って明代に建造。橋の下は慈門寺の僧が放生(生き物を逃がして功徳を積むこと)を行う場所のため、魚を取ることを禁止している。そこで「放生橋」と名づけられた。橋の上では放生するための金魚やフナが一匹4RMBほどで売られていた。


 放生橋は比較的奥にある。橋の手前右にはあずま屋のような屋根があり、座って休憩できる。川岸の方には遊覧船の船着き場がある。露店で買ったちまきはこのあずま屋の下で食べた。このあたりでは婆さんがビニール袋に入れた金魚を売り歩いている。

photo 192*128 【ちまき売り】

 朱家角の中はちまき売りの店が多い。どの店で買うか迷うほどである。金額はどこも横並びだが、中の具によって異なる。豚肉入りの一個3RMBのものを買って食べた。
 


 この日は金曜日と言うこともあり、観光客はいることはいるのだが、それほど大挙して訪れている様な状態ではない。観光船もあまり稼働しておらず、空船が多いようだ。いつの間にか日本人の観光客は消え(彼らの観光時間は30分ほどだろう)、欧米系ばかりとなった。彼らはキョンシーの帽子をかぶったり、蛇遣いが使うような竹笛を吹いたりして戯けている。

photo 192*128 【水郷の街】

   


 阿婆茶楼は典型的な明清代建築物の1つで漕港河のたもとにあり、茶店として営業している。放生橋や禅院の景色が一望できる。江沢民などの要人も訪れたという。隣には「翰林横額博物館」があり、多数の横額が展示されている。
 円津禅院は、元代(1341年)に築かれたもので境内には観音菩薩像が安置されている。朱家角の中でも一番高い建物のようで、中に入って最上階から窓の外をのぞくと、黒い屋根の古い町並みが一面に広がる様子が見られる。
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 【城隍廟橋の上から】
 【城隍廟の大算盤】
 【阿婆茶楼】
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 【上海遥古文化展示館】
 【円津禅院】
 【木の橋】

 朱家角はそれほど広くはなく、ゆっくり回っても2時間あれば十分である。12時にはあらかた見回ってしまい、バスが出発するまでの残り4時間あまりをつぶさなくてはならなかった。狭い路地を歩き回ったり、ベンチで休んだりして時間をつぶし、2時過ぎに朱家角のゲートを出る。朱家角の外の大通りを少し歩いたが、たいしたものはなく、再びゲートのところまで戻って、ケンタッキーに入ってハンバーガーセットを食らう。
 バスの時間まであと1時間というところで、大駐車場の中のベンチで待っていると、来たときと同じようなバスが来た。どうやらそれに乗って上海へ戻れるようだ。考えてみたら、16時指定だったが路線バスなので30分おきに出ていてもおかしくないはずだ。バスが上海まで行くことを確認してチケットを見せると何も言われなかったので、そのまま乗り込んだ。
 バスが上海市内にはいると、渋滞のため遅々として進まなくなる。高速道路を下り到着が近いかと思いきや、バスはいきなりガソリンスタンドに入って、給油を始めた。添乗員がなにやら説明していたが(内容不明)、ここで三分の一ほどの乗客がバスを降りて、どこかに行ってしまった。渋滞で時間がかかるので、地下鉄にでも乗り換えたのだろうか。別に急ぐことはないので、そのまま車内に留まり、バスが行き着くところまで身をゆだねることにした。
 バスは再び渋滞の列に突入し、30分もたった頃、再びガソリンスタンドの手前で停止した。添乗員が何かしゃべっているが、どうやらそこでバスを乗り換えろと言っているようだ。スタンドでは同じ会社のバスが給油中で、残された乗客がぞろぞろとそちらのバスへ移動した。空になったバスは何事も無かったかのように、走り去った。どうやらそのバスは次の出発時間に間に合わないので、乗客を捨てて新たな客を乗せに行ったようだ。
 給油中のバスにもすでに乗客が乗っていたが、我々が乗っても満員になることはなく、給油を済ませるとすぐに出発した。そして10分も経たずに体育館に到着した。結局帰りは2時間以上かかったことになる。日はすっかり落ち、夜のとばりが下りようとしていた。地下鉄に乗り、南京東路駅で降りてホテルまで歩いた。

photo 192*128 【市郵便局】

 ホテルへ戻る途中、四川路橋の上からきれいに見える。  



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Camera:Panasonic DMC-FX9,Canon EOS 10D

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