中国見聞録シリーズ上海放浪記2007 |
【三日目】
この日は朝から雨が降っていた。今回の旅では蘇州へも行こうと思っていたが、昨日朱家角で水郷は堪能したのでもはや蘇州へ行こうという気は失せていた。上海市内でまだ行ったことがないところを巡ることにした。 朝食後ホテルを出て乍浦路を北上する。夜は活気のあるこの通りも、朝は眠っている感じだ。店の前に置かれたソファーの上で眠っている女性もいる。2ブロックほど歩くと大きな通りにぶつかり、横断歩道を渡って左折する。そして四川北路を北上、右手に公園があり、おばさん達がそろいのジャージを着て踊っている。もう魯迅公園に着いたのかと思ったが、四川北路公園だった。道をさらに歩く。地下鉄四号線の高架をくぐり、横浜橋を渡る。歩道の花壇を作業員達が整備している。それほど広くもないのに十数人の作業員が一斉に作業をしていて、あっという間に終わりそうだ。中国ならではのまさに人海戦術だ。 道を間違えたのか、虹口足球場駅の前まできてしまった。この駅は地下鉄駅なのに見上げるような高さの所にある。サッカー場を回り込むようにして歩いていくと、魯迅公園の中に入ることができた。この公園は入場料を必要としない。そういえば、上海の公園は金を取るところがないような気がした。
公園の中を歩き回っていると魯迅記念館の前に到着。まだ門が閉まっていて開館まで時間があったので再び公園内を散策した。 【魯迅の墓】 鲁迅(1881〜1936)は,中国文学家、思想家、革命家、そして教育家であったと紹介されている。 魯迅公園の一角に芝生で囲まれた中に椅子に腰掛けた魯迅の銅像がある。ここが魯迅の墓だという、。このあたりでは踊り狂う老人達の姿は見られない。 日中友好の時計台や魯迅墓を見て回り、魯迅記念館へ戻る。記念館の前には開館を待つ人が十数人もいた。そんなに人気があるのかと思ったら、同窓会の集まりだろうか、老人達が集まり数十年ぶりの再会を喜ぶかのように握手をしている。 魯迅記念館は9時開館で、時間通り門は開いた。しかしチケット売り場に売り子の気配がない。今日は無料開放かと思ったが、他の客は入る様子がない。しかたなく待っていると、数分経過してようやく売り子がやってきた。彼女は急ぐ様子もなく悠然とチケット売り場の小屋の中へ入っていくとようやくチケットが販売された。 そもそも魯迅とは、『阿Q正伝』で知られる作家である。一介の作家がなにゆえ公園となり、記念館が立つのか理解できないのだが、中国の近代文学において、作家といえる者が殆どいないからともいえるのではないだろうか。 魯迅記念館は中国では珍しく館内撮影禁止である。二階のホールには魯迅の一生を紹介するレリーフ板が壁に張られ、展示室は『阿Q正伝』を中心とした各種展示物がある。また、世界中の言語で翻訳された魯迅の本が壁一面に展示されているコーナーもある。 一階の売店で土産物を物色していると、店員が近づいてきて日本語で話しかけられた。二日ぶりに日本語の会話をしたのだが、その男性はもと新日鐵で働いていて日本語が分かるのだという。当時の日本の製鉄は世界一だったが、今や中国が世界一となっている。そんなたわいもない話や、商品の説明をいろいろ聞いたりした。そして掛け軸のところで話を聞いていると、そこにあるのは魯迅の息子(周海嬰)の作品だという。魯迅は100年前の人である。その息子というからにはかなりの年のはずである。聞くと80近い年齢だという。その息子が書いた梅の花の掛け軸は650RMBと価格が貼られていた。10,000円である。もちろん掛け軸など欲しくもなく買うつもりもなかったのだが、400RMBで売ってやるという。もしそれ以上安くするなら責任者の判断が必要だということだった。買う気は無かったが、相手はいくら安くしても売りたい様子だ。そして、いくらでも良いから買いたい値段を言ってみろ、と言ってきた。そこで思わず300RMBと言ってしまった。すると元新日鐵はすぐに責任者の所へ行き、梅の掛け軸は300RMBでいいかと確認している。責任者は3秒ほど考えるとOKと返事をした。なんと商談が成立してしまった。約5,000円である。それが高いのか安いのかさっぱり分からない。しかし絵のない掛け軸だけでも日本で買うと3,000円はしそうである。一応自分としては欲しくもない掛け軸ではあったが、満足した買い物のつもりだ。実家の田舎の家の床間にでも飾ってもらうことにしよう。 売店では日中二カ国語で書かれた『阿Q正伝』の本も購入。日中対訳の本は中国語の勉強に役立つはずだ。 壁から降ろされた掛け軸は、店員達によって手早く箱に収められ、ポリ袋に包まれた。外は雨が降っていたのである。掛け軸を受け取ると、以外とそれは大きく、過去の長さは1mほどもあった。そのままその箱を持って街中をうろうろするのにはじゃまなので、まずはホテルに戻ることにした。
ついでに魯迅故居も立ち寄ってみることにした。内山書店跡から5分ほどの所に魯迅の家あった。ここは魯迅の家の跡でなく、魯迅の家である。なぜならば主人こそいないがその家は今でも残っていて、そのアパートの隣近所は普通に人民が住んで暮らしているからである。石作りの立派なアパートなので100年経っても健在なのである。魯迅の家は入って見学できるが、中は有料なので、外から眺めるだけにした。 多倫路文化名人街を通る。名人街はその名の通り、魯迅時代に文化人が多く住んだところである。通りはきれいに整備され、所々に等身大の銅像が立っている。 ホテルに戻り、濡れた服を着替えて再び出動。今度は人民広場にある上海城市企劃展示館へいくことにした。そこの目玉は上海市の巨大ジオラマである。北京でも同じような展示館で北京の巨大ジオラマを見ているので、上海でも見ておきたかった。 ホテルを出て、魯迅公園とは反対方向の南京路の方へ歩く。南京路からは西に向かって歩き、人民広場を左に回り込むと目指す上海城市企劃展示館がある。 【南京路】 南京路は昼も夜もとにかく人が多い。その人波をかき分けるように小さな多重連結のバスが行き来している。 上海城市企劃展示館は上海の都市計画と実績を中心に展示している。入場料40RMBを払って中に入ると、いきなり上海市のジオラマが広がる。でもちょっと規模が小さいく模型は黄浦江の周辺しかない。それでも写真を撮りまくってから上の階へいくと3階に目玉の巨大ジオラマがあった。1階の展示とかぶっている...無駄だ。 そういえば中国には兵馬俑という、個々の兵士の顔と体型を模した等身大の俑を数千体も作ったという歴史がある。気の遠くなるような作業だが、このジオラマもその作業に通じるものがある。 【上海ジオラマ】 5000分の1の上海市のジオラマ。上海城市企劃展示館の目玉、というか見所はこれしかない。ひとつ上のフロアからもこのジオラマを見下ろすことができる。 他に上海の計画で興味があるのが、杭州湾の架橋計画である。以前飛行機の中から見たのだが、広大な海の上をどこまでも長く続く道路が見えていたので気になっていたのである。全長36kmで、完成すれば世界最長の海上橋となるらしい(日本最長の明石大橋は3.9km)。その杭州湾大橋もパネルや写真で紹介されていた。 企劃展示館を出て、南京路をうろうろする。上海書城でCDやDVDを購入する。中国ではどこでも日本のCDを買うことができるが、日本で買うより遙かに安いから不思議だ。 日も落ちて、夕食の時間である。一人なので何を食べるかは頓着しない。南京路の吉野家で牛丼セットの一番高いものを持ち帰りで買った。ホテルへ戻る途中、露店で焼き小龍包のようなものを売っていたので、それを四つ購入(2RMB)。さらにコンビニで買った青島ビールを加えると豪華な食事となった。
続きCamera:Panasonic DMC-FX9,Canon EOS 10D
| |||||||||||||||||||||||||||||||
| |
ホームに戻る |