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中華圏放浪シリーズ

台湾2007

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【11月2日】
 台湾で泊まるホテルは西門地区にある一楽園飯店。英語名でPARADISE HOTELだ。とてもパラダイスとは言い難く完全に名前負けしている感がある。中国では(日本人の感覚で)かなり安いホテルでもそれなりのクラスであるが、物価の高い台湾ではそうはいかない。格安ツアーのホテルのレベルはかなり低くなる。そもそもフリーツアーで高額な一人部屋追加料金を払った割には、シングルの狭い部屋が割り当てられたので納得がいかない。しかしこのホテルの良いところは西門という繁華街のすぐ近くにあり、食事や買い物には便利だということだ。ホテルは寝るところと割り切れば問題はない。
 初日の夜は日本で調べておいた西門のグルメ店を巡った。阿宗麺線を食べ、木瓜牛乳を飲む。そしてさらに金園排骨飯を食べて1日は終わった。
 ホテル部屋のテレビは日本のNHKの外国向け放送が入るが、深夜のためかニュース以外の番組はつまらない内容だった。このテレビはどういうわけか何十チャンネルもある。中には日本のアニメやドラマが中国語吹き替えで放送されていて、思わず見入ってしまう。
 
阿宗麺線台北牛乳大王

【11月3日】
 この日は台中を日帰り見学する予定だ。台中に行くと言うより今年開業したばかりの新幹線に乗るのが本来の目的で、台中の観光はおまけのようなものだ。
 朝6:30にホテルを出発。ホテルには朝食が付いていたが、時間が間に合わないので食べられない。徒歩8分ほどでMRTの西門駅に着き、ひとつ隣の台北駅へ行く。
 台北ではMRTを利用する人はほとんど非接触式プリペイドカードを使って改札を出入りしている。旅行者の場合もプリペイドカードを買うと安く乗れるのだが、それほど利用しないのであれば、切符代わりのトークンを自販機で買うことになる。このトークンはプラスチックのメダルの様なものでこれも改札を入るときはカードと同じようにタッチして進む。出るときはトークン挿入口があるのでそこに入れるとバーが開くようになっている。このシステムは3年前と変わっていた。
 MRTの台北駅改札を出て地下の新幹線乗り場は案内板に従えば迷うことはない。地下のチケット売り場は朝まだ早いせいか行列はなく閑散としていた。チケットは台湾新幹線カラーであるオレンジで、カードサイズの磁気カードである。カードには裏表があるようで、自動改札では裏を上にして挿入口に入れなければならない。
 出発までまだ時間があるのでホームに止まっている車両を撮るため、先頭車両の方へ行った。日本と同じなのだが、新幹線の長さは長くけっこう歩く。先頭車両まで到達したものの台北駅は地下にあるので、光が少なくあまりうまく写真が撮れなかった。ベンチに座って新幹線の扉が開くのを待っていると、くたびれた制服を着たフランス人の運転手が通り過ぎて行った。台湾新幹線の運転手は全員がフランス人であるらしい。

photo 192*128 【台湾新幹線】

 車両は日本の700T系がモデルになっている。
 07:42台北駅発→08:31台中着(700元)

photo 192*128 【新幹線の座席】

 開業からまだ半年なので綺麗だ。12両編成のうち1両がビジネス車両で、残り11両がふつう車両。写真はふつう車両。このあと5分で車両は満席となった。

 出発の10分ほど前になると車両の扉が開き、中に入ることができた。はじめは少なかった乗客も出発間際にどっと乗ってきて、指定席の車両は満席となった。定刻になると新幹線は静かに出発した。新幹線は台北の中心地を抜けるまでは地下の中を走る。地上に出ると高架の上を走るようになり、景色が広がる。車両の揺れはほとんど無い。車内の前の方には日本と同様に情報表示のテロップがあり、ニュースが流れている。そして時々現在のスピードを表示するのだが、台中に着くまでの間で最高速度は296km/hを表示していた。軽く日本の最高速度を超えている。台中までは途中、板橋駅で停車して50分で到着した。
 台中駅は土地を多く取るため台中の郊外にあるようで、コンコースはかなり広い。改札を出ると壁に沿って飲食店が並んでいるのだが、何となく日系のテナントばかり入っているようだ。有名どころでモスバーガーやロイヤルホストが目に付いた。そのモスバーガーに入り軽く朝食をとった(新幹線で弁当の車内販売を期待していたのに来なかったのである)。
 台中駅からはチャーターしたタクシーで日月潭へ行く予定だ。本当は旅遊バスで安く行きたいところだが、4人からでないと参加できないため、タクシーをチャーターすることになった。料金は1日3000元最後に払う。立ち寄る場所は、集集線の集集駅と車呈駅、日月潭と埔里酒廠を指定して、後はお任せにした。
 車は幹線道路を南下し、集集線沿いの道を走る。緑のトンネルと呼ばれる道の両脇に木が生い茂る中を通り抜け、集集古窯と言うところに到着。タクシーの運転手は見学してこいと言ったが、たいして見るものはなかった。窯自体は昔の地震で廃業したようで、その面影だけが残っていた。

photo 192*128 【集集駅前】

 集集駅前は多くの観光客でごった返している。何の変哲もない単なる駅舎だがどうしてこんなに人が集まるのだろうか。駅前の通りはレンタル自転車やバイクの店が軒を連ねている。
 駅舎は地震で倒壊したが、近代的な駅舎ではなく元のとおりに作り直したそうだ。

 集集線は、台湾中部の二水駅から車呈(土へんに呈)駅までの約30kmを結ぶローカル線で、日本統治時代に作られたそうだ。集集駅の周辺はおみやげ物屋だらけである。駅前広場のしゃれた小屋もおみやげ物屋で、その奥にはなぜか戦車と機関車が展示してある。

photo 192*128 【駅前の戦車】

 M24戦車が二台駐車している。アメリカの戦車がなぜにと思ったが、朝鮮戦争やベトナム戦争で台湾にはアメリカの軍事基地が置かれていたのだろう。説明には民国43年(1954年)に獲得し、並配発部隊が使ったと書かれていた。

photo 192*128 【駅前の機関車】

 SL22蒸気機関車。民国2年5月製造とある。阿里山森林鉄道の木材運送に使用したらしい。

photo 192*128 【利用客の多い集集線】

 車両は二両くらいかなと思いきや、10両近いフル編成だった。しかもものすごい数の乗客が車両の中にもホームにもあふれている。ほとんどが観光客なのだろう。観光バスで来て一部区間だけ列車に乗ってまた観光バスに乗り換えるというスタイルのようだ。

 タクシーに乗り、次に連れて行かれたのは、集集鎮武昌宮というお寺である。ここは初めて見聞するところで、その寺を見ると何かおかしい。近づいてよく見ると倒壊しているのである。地震の爪痕をこのような形で残すのは日本ではあまりないことである。
photo 192*128 【集集鎮武昌宮】

 地震で倒壊しそのまま見せ物となっている。1999年9月21日に発生した台湾大地震(集集地震、M7.6)は、集集鎮を震源とするもので甚大な被害をもたらしたようだ。集集のあちこちで9.21を忘れるなとばかりにポスターや幟が立っていた。

photo 192*128 【バナナ売り】

 台湾と言えばバナナも有名である。この日はけっこう涼しかったが道路脇にはバナナ畑も多く、たわわに実っていた。バナナを売る店や露店も多く出ている。

 運転手が山蕉と言う種類のバナナが美味しいというのでそれを探したがなかなか売っていない。もう時期を過ぎているようだ。しかし、道ばたの露店に車を横付けして訪ねると、そこでは売っていた。 味見程度の数本で良かったのに、一房20本以上あるものしか売らないという。それを87元で購入。早速食べると、もちっとした甘いバナナであったが、際だって美味しいと言うことはなかった。しかし日本で売っているバナナと違い、農薬漬けにはなっていないだろうから、いくら食べても害にはならないだろう。
 車は川沿いの水力発電施設の近くで一時停車。山肌をパイプが縦に通っていて水の落差で発電している施設だ。珍しくはないが、この辺りの電力はほとんど台北で消費しているということだった。  集集線最終駅の車呈駅に到着。標高の高い場所にあり、山肌を削って作られた明潭ダムの壁が見えている。これも日本人が作ったらしい。まだ車呈駅には観光客が押し寄せて来ておらず、閑散としていた。ここはホームの中に自由に入ることができる。木造の駅舎には名物の木桶弁当の売り場がある。

photo 192*128 【木桶弁当売り場】

 木桶弁当は260元と290元の2種類。中身は同じだが、木桶の造りがちょっと違う。せっかくなので高い方を買った。もちろん木桶は日本まで持ち帰るつもりだ。ここで注文して、下の木茶房で作ったものを持ってくるようで、10分ほど待たされる。


 車呈駅周辺は老街として観光地となっている。弁当ができあがるまでの間少し歩き回ったが、まだ工事中の大型施設もあった。この辺りは台湾檜の集散地でもあるようで、木工細工の店などが多い。

続き


Camera:Panasonic DMC-FX9,Canon EOS 10D

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