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福建省世界遺産の旅-中華圏放浪 福建省世界遺産の旅-中華圏放浪 厦門から武夷山と客家土楼へ... 厦門から武夷山と客家土楼へ... 【華安土楼の二宜楼】
《明清古街散策へ》 食後はいよいよ土楼かと思いきや、再びどこかの町でバスを降ろされ、明清古街とやらを散策することになった。当時の町並みを復元したような商店街を歩いたが、まだ朝が早いため、どの店も閉まっている。それも明清時代にはないシャッターなので、とても古街とは思えない。唯一、古そうな碑楼が当時のものであるようだ。 15分ほどの自由時間でぶらりと周辺を回った。古街といっても普通に人が暮らしている街である。孔子廟があり、中へはいると立派な孔子の像が立っていた。しかし、ほとんど人はおらずひっそりとしていた。 7:46 2010/02/19 《華安土楼へ》 バスに乗り、今度こそ土楼に向かう。街から離れ、バスは山奥へと進む。土楼は観光地となってから、道が舗装されるようになったが、以前は悪路で何時間も余計に時間がかかったそうだ。福建省には土楼群がいくつもあるが、今回行くのは華安土楼である。厦門から最も近い土楼であるかもしれない。ガイドブックでは永定の土楼を紹介していることが多いが、そこは広東省に接した町で厦門から5時間ほどかかる。
華安土楼の入り口にもゲートがあり観光客は入場料を払うことになる。お一人様90元で、ここも高いがツアー料金に込みである。電気カートに乗り換え中へと進んだ。カートはそれほど走ることなく、おもむろに巨大な円形の構造物の前で止まった。想像以上にでかい。土楼のかなり手前から写真を撮るが、28mmレンズでようやく全体が収まる大きさである。 土楼の基礎の部分は石組みだがほとんど土でできているのが分かる。版築と呼ばれる工法で作られているのはNHKで見たことがある。土の壁は10m以上の高さがあり、上の方にだけ窓が付いている。丸い穴がポツポツと開いているのは銃眼だか矢を射る穴だそうだ。もともと敵の侵入を防ぐために作られた土楼だが、この城を舞台に戦いが行われたことがあるのだろうか。
二宜楼と書かれた扁額があり、そこが出入り口となっている。入り口の脇に石組みの隙間があるが、中に声が届くように穴が空けられている。壁の厚さは1m以上あるだろうから、穴がなければ内部に声が届かないのだろう。入り口の中に入り、建物を通り抜けると中は空洞で広場になっている。真ん中には井戸が二つある。広場を通り抜けて反対側の建物に入り、上に上がった。この土楼は四階建てで上の方が住居になっている。世界遺産でありながら、実際に人が住んでいて、観光客がその中をぞろぞろと見学するという、住人にとってはプライバシーもあったものではない状態である。入場料収入はもらえるのだろうか。土楼の中でも土産物の商売が行われている。 【二宜楼の中】 三階のテラスから土楼の内部が一望できる。ドーナツが二重になっているような構造となっているのが分かる。内側は一階建てで、屋根が見えている。外側の二階三階は内側にバルコニーがあり、採光はそこから取るだけで、外側は壁になっている。 最上階に上がると、土楼をぐるりと一周回れる通路がある。その通路だけ、外に向かって窓が付いている。外側の壁は漆喰で塗り固められているが、内側は木の柱や板で作られている。一周回って下に降りた。 続いてカートに乗り別の土楼へ向かった。100mも離れていない場所に方形と円形の土楼が並んでいる。先ほどのと比べると小ぶりだ。方形の方は東陽楼といい、蒋さん一族が暮らしている。壁に部屋割りの図が貼ってあり、二階建てで50世帯ほどが入っているようだ。 【東陽楼と南陽楼】 二宜楼ほど大きくはないが、東陽楼は50世帯は入っている。土楼の周りは茶畑である。以前は米を作っていたそうだが、茶の方が儲かると言うことで、村を挙げて茶に切り替えたそうだ。
土楼見学を終え、昼食は土楼入り口近くのレストランになった。きっとここしかないのだろう。何しろ田舎である。そろそろ飽きてきたお決まりの中華料理を食べた。食後は厦門へ移動である。 《厦門へ》 厦門島に入り、今回の旅行で初めての土産物屋へはいる。ツアー旅行では土産物屋に入るのは必須である。今回のような玄人好みのツアーは中国旅行のベテランが多く、参加者にとってこの手の土産物屋は何度も経験していることだろう。今さら買うものなど無さそうである。それでも情にほされて買っている人は多い。
Camera:EOS KISS X2,SONY DSC-WX1
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