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福岡県の山

香春岳

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香春岳MAP
新羅の神が祀られる山、香春岳
日程 2005年05月04日(水)
山名 香春岳
山域 福岡県
入/下山地 五徳越峠
メンバー 妹,福島


五徳越峠(10:52)−(ハイキングコース)−(11:20)三ノ岳−(ハイキングコース)−(12:03)五徳越峠

 香春岳は昔より銅の産出した場所であり、新羅からの渡来人がその高度な技術で精製していた。奈良東大寺の大仏造営でも、ここから搬出された銅が相当量使われたという。平安時代には宇佐八幡宮に奉納する御神鏡を鋳造している。近代ではセメント原料としての石灰の採掘が昭和10年から始まっている。湿式回転窯という、当時としては最新の設備を備えた香春工場で加工されたセメントは、世界各国に輸出されていた。

 今回の帰省では、この香春岳は登っておきたかった。幼児の時からこの山は見続けていて、これまで登ることはなかった山だ。地元の人は香春岳とは言わず、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳のいずれかを使う。一ノ岳は、石灰の採掘が進み、山は上半分が綺麗さっぱりと無くなっている。入山も禁止となっている。二ノ岳と合わせ、山はセメント会社の所有になっている。三ノ岳は入山が許され、ハイキングコースも整備されている。

【昭和初期の香春岳】

 香春町の祖父の家に飾ってあった(地元の写真館からもらったらしい)写真を拝借。スキャナーで取り込んだ。
 右から一ノ岳(491m)、二ノ岳(468.2m)、三ノ岳(511m)。

【現在の香春岳】

 採掘開始から70年後の姿。一ノ岳は半分ほど無くなっている。現在の山頂の広さは東京ドームの七個分あるらしい。登山前日に撮影した。
 採掘している香春太平洋セメント株式会社は、平成16年3月末をもって解散しているので、採掘はこれで終わりだという。

 国道322号線を北上し、日田彦山線の採銅所駅の駅手前1kmくらいを左の方へ行くと、五徳越峠への道に続く。五徳越峠に駐車スペースがあるか不安だったが、道が太くなっており、すでに何台か縦列駐車していた。そこに車を停めて登ることにした。
【五徳越峠】

 五徳越峠には車を停めるスペースがある。ここから三ノ岳を目指す。


【岩登りコース分岐】

 登山道は整備されており、迷うことはない。登り初めから5分ほどで分岐がある。左に行くと直登の岩登りコース、右が三ノ岳を回り込んで登るファミリーコース。右に進んだ。


 緑深いヒノキの樹林帯の中をゆっくりと登っていると、林道に出る。この道はセメント会社の道で、二ノ岳の山頂まで続いているはずだ。林道に白い小さな石灰石がいくつも転がっている。白色度の高い白色結晶質石灰石は寒水石(かんすいせき)と言われ、光沢紙の表面処理に使われるそうだ。道標に従い、林道から再び山道に入る。竹笹の中を抜けると、展望が開けてくる。一ノ岳の採掘現場も少し見える。
 山中には炭坑の坑口(まぶ)や製錬跡が多く残ってるらしいが、ハイキングコースからはそれらしきものは確認することができなかった。
【三ノ岳頂上】

 頂上は好展望だが、この日は靄がかかっている。
 頂上の西側は岩が多く、その岩に登ると見通しが良い。飯岳山や二ノ岳、牛斬山、福知山方面が見える。

 五徳越峠まで来た道を下った。続いて、香春の史跡を見学することにした。途中車で通過した三ノ岳中腹にある史跡、清祀殿や一ノ岳の香春神社、謎の古墳、鏡山を訪れた。なお、今回は訪れていないが、このあたりで温泉にはいるなら柿下温泉が良いだろう。平成筑豊鉄道田川線の柿下温泉口駅から徒歩15分のところにある。


【清祀殿】

 清祀殿とは、中国語で「清いまつりごとをすをする荘厳な家屋」と言う意味。三ノ岳の坑道から運ばれた銅が清祀殿の裏手で精錬され、ここで宇佐神宮に奉納する御神鏡が鋳造された。720年に初めて奉納され、1723年まで続いたという。


【香春神社】

 新羅の神様「辛国息長大姫大自命」を祀った神社であり、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳には、それぞれの神々が分祀されていた。和銅二年(709)に今の地に合祀された。祟神天皇の時代(西暦300年頃)の創設で、『豊前国風土記』や西暦927年に編さんされた延喜式神名帳に記載されている。


 香春岳から行橋方面に向かう国道201号の左手に、古墳のような小山が見える。鏡山といわれ、子供の頃から気にかかっていた山だ。ここ訪れるのは初めてで、小山の麓から頂上にかけて石段が続き、神社があるようだ。時間がなかったので登らなかったが、石段の左の方へ行くと河内王の墓(天武天皇の孫河内王を葬った陵墓)があり、宮内庁の立て札があった。河内王の王妃となった手持王女の歌が万葉集の中にある。

 香春岳は日本の古代史や仏教史、また中世の戦国史上に残る歴史の山である(ここでは記していないが、鬼ヶ城は平安−鎌倉−室町に及ぷ戦国記に登場する豊前国古城史のなかでは不落の名城として名ある古城で、最澄ゆかりの神宮院なども香春岳にある。)。調べていくといろいろと興味深い。新羅からの渡来人が香春に住み着き、香春岳から産出する各種金属を精錬生成し、その高度な技術から神と崇められる。この地の銅は、その後奈良の大仏造営の時にも大量に供出されたという。紀元前に、秦始皇帝から命ぜられ、不老不死の薬を求めてきた徐福がこの地を訪れたと言うことも無いだろうかと、想像もふくらむ。

Camera:CANON EOS 10D,SONY DSC-U30

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