浦添城跡-沖縄県の山
浦添城跡-沖縄県の山
モノレールが延伸したので行ってみた
モノレールが延伸したので行ってみた
【浦添城の石垣】
○山行情報 | ||||
日程 | 2024年2月11日(日) | |||
山名(山域) | 極楽山(南西諸島) | |||
入/下山地 | 浦添前田駅 | |||
メンバー | 単独行 | |||
行動時間 | 1時間20分 | |||
歩行 | 距離 | 登り | 下り | 歩数 |
3.5km | 72m | 72m | ---歩 |
○コース(タイム)
浦添前田駅(12:04)-極楽山-(13:24)浦添前田駅
《山概略》
浦添城は、沖縄県浦添市にある12世紀頃に作られたと言われる城。長さ約400mの隆起珊瑚礁の上に築かれ、浦添市最高地点となる標高127.1m地点に極楽山という三角点がある。一帯は国の史跡に指定され、浦添大公園として整備されている。浦添ようどれや石垣、伊波普猷の墓、カガンウカー、ディーグガマ、前田高地豪など見所も多い場所である。
《アプローチ編》
沖縄日帰りの旅を計画し、浦添城を訪れることにした。羽田発の那覇行き第一便は6:25発なのだが、保安検査場の締め切り時間を考えると自宅からのアプローチではギリギリ間に合う時間である。念のため余裕を見て、第二便の6:35発を予約していた。いずれにしても分単位でギリギリの時間に間に合わせて機内に乗り込むるのだが、朝の羽田は離陸の飛行機で渋滞ができ、30分は平気で遅延する。飛行機は飛び立つまでの無駄な時間が多い。
那覇まではおよそ3時間かかり、空港からはゆいレールの一日乗車券でモノレールに乗る。まずは腹ごしらえのため牧志公設市場へ。するとあろうことか春節のため休業中だった。ここは中国か、と突っ込みを入れたくなるが、仕方が無いので国際通りのタイラ製麺所でソーキソバを食べる。 人気の店だがここは中国人(たぶん)が、ワンオペで切り盛りしていた。
腹ごしらえの後、再びモノレールで浦添前田へ移動する。そこから歩いて浦添城へ向かった。
《浦添城へ》
モノレール駅から地上に降りて、県道沿いの歩道を西へ進む。この日は快晴で、アスファルトに照り返す日差しがまぶしい。サングラスが欲しいところだ。駅から200mほど歩くと右手に駐車場が見えてくる。そこが浦添城跡への入口のようだ。奥の方へ行くと、公園の管理事務所が有り、浦添城を紹介する部屋がある。
【普天間参詣道】
管理事務所から裏手の小山を登っていく。真新しい遊歩道が綺麗に整備されているので歩きやすい。道はやがて石畳となる。浦添城の尚寧王(しょうねいおう)が首里城から浦添城を経て普天間宮への道を整備したもので、普天間参詣道と呼ばれている。石畳を登り、振り返ると浦添の町並みの奥に首里城を望むことができる。今の首里城は工事の壁で囲まれている。
石碑の前を通過し、草原の道を進むと丘の上に出る。草原草原が広がり気持ちが良い。ぽつんと木が生えている場所に行くと、殿(トゥン)という場所らしい。草原の奥は、崖っぷちになっている。沖縄戦時にハクソーリッジ(前田高地)と呼ばれ、激戦地となっている。
丘陵を西へ進む。緑に覆われた一角が有り、一段低くなっている。ディーグガマと呼ばれる鍾乳洞が陥没した穴である。下へ降りていくと中には御嶽がある。さらに鍾乳洞へ入る穴があるが、立ち入り禁止となっている。戦時中は防空壕として利用されていたようだ。
遊歩道を進み、石垣の門のようなところを入っていく。右手の裏の方へ道が続き、石垣の通路を進むと琉球国の王の墓である浦添ようどれがある。岩の壁に横穴を穿ち墓室にしている。その前では敷物の上に座り、祈りを捧げる人がいた。
ようどれから北面の広場へ降りていき、石垣を見返す。見えている石垣は復元したものだろうが、元々の石垣は14世紀後半に作られている。日本では室町時代で、まだ石垣の城など無い時代である。
浦添ようどれを後にし、本来の目的である三角点のある最高地点へ向かう。広場の道を進み、ウッドデッキを歩く。展望台があるというので立ち寄ってみたが、展望台らしき場所は樹林に覆われ何も見えなかった。
ようどれ館のある駐車場を通り抜けると、あずま屋の展望台が見えてくる。そのあたりに三角点があるはずなので探してみると、石柱では無く、円形のプレートが三角点として設置されている。円盤には「国土地理院」と「四等三角点」の文字が刻印されている。点の記を調べると標高127.1mで、点名は極楽山となっている。その三角点より3メートルほど高い展望台からは浦添市街や海も見渡すことが出来る。
展望台から降りると、遊歩道沿いでは緋寒桜が咲いている。もう満開は過ぎた頃だろうが、初夏のような陽気でのサクラは不思議な感じだ。蝶も舞っている。
浦添大公園を一周して元来た石畳のところに戻ると、発掘された当時の石垣が目の前に見える。黄色がかった石は当時の色なのだろうか。浦添城の発掘はまだ続いているようだ。
浦添城探索を終え、次は首里城近くにある那覇市最高地点へ向かうため、モノレール駅へ向かった。