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福州−中華圏放浪

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空海の足跡を訪ねて...

空海の足跡を訪ねて...

【福州西湖公園】

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コース(タイム)

横浜(8日)=成田=上海=福州=福清=福州(11日10:55)=上海(17:05)=成田(21:05)=(23:00)横浜

【11月10日】
 朝は外の公園で流れる音楽で目覚める。この日は福州市へ観光へ出かける予定だ。朝食はホテルのバイキングではなく、昨夜の残りをテイクアウトしたビーフンを食べた。セコいがこれが美味しかったのだ。中国のレストランは残り物を気軽に持ち帰ることができるので経済的だ。もっとも朝食バイキングのチケットは使わなかったので無駄になったが。

《福州観光》
 福清から福州までおよそ50km。一番便利で経済的なバスで行くことにする。昨日偵察しておいたバスターミナルへ向かった。バスチケットを窓口で購入するのだが、福州にはバスターミナルが二つあり、それぞれ行き先が異なる。北駅と南駅に分かれるのだが、北駅のほうを選んだ。どうせタクシーに乗り換えるのでどちらでもよかった。
 バスの本数は多いのでダイヤを気にすることはなく、行き先が表示されたバスに乗り込む。バスの中ではテレビ画面で吹き替えの洋画を上映していた。メルギブソンが出ていたが見たことのない映画だった。
 しばらく市街地を走っていたバスは高速道路に乗った。バスはビン江をわたる。  福州バスターミナルに到着。ターミナルの通路を通り、通りに出ると歩道ではウイグル族の人たちが屋台でお菓子のようなものを売っていた。中国各地で見られる光景である。このお菓子は大きな塊で、切り売りしているようだがどんな味がするのだろうか。一説によるときわめて堅くてまずいと言うことだが、自分ではまだ食べたことがない。
 タクシーをつかまえ、林則徐記念館へ行ってもらう。しかし運転手はその場所を知らないようだ。携帯電話で場所を確認しだしたが、地図を示して場所を教えると理解したようだった。
 林則徐記念館は黒塗の壁に囲まれた大きな邸宅である。入り口がわかりにくかったが、なんだか様子がおかしい。勝手口のような所から中をのぞくと工事をしているようだ。改装中のようだが、少し中に入らせてもらって写真を撮らせてもらった。工事のためか建物の中には何も家財や展示物はなかった。


林則徐記念館
【林則徐記念館(LinZeXu JiNianGuan)】
   林則徐の碑
【林則徐の碑】

 記念館の前にいた親父がいうには別の場所に林則徐ゆかりの場所があるという。そこへタクシーで向かった。住宅地の中にある公園のようなところで、壁には林則徐出生地と書かれていた。中に入ってみると公園はそれほど広くはなく、中央に林則徐の石像があった。写真で見たことがある姿だ。説明によると1996年に見つかった星に林則徐星と名付けたと言うようなことが書かれている。裏側にその星の軌道が書かれているが、太陽系内の星であることがわかる。太陽の周りを4.11年周期で回っていると言うから、惑星ではないか。いずれにしてもこの星を見つけたのは現代の人で、それに林則徐と名付けることからも、この人物への思いが伝わってくる。
 奥に入っていくと石造りの建物があり、中へはいることができる。中には展示品があり、林則徐に関わる写真や新聞記事、肖像画などを見ることができる。ひょっとしてこちらが本当の記念館なのだろうか。買ったばかりの市内地図には何も記載がなかった。
 その地図を見ていると、すぐ近くに開元寺があることがわかった。うろ覚えだが、開元寺は空海とゆかりのある寺のはずだ。歩いてその開元寺へ向かった。

開元寺 【開元寺(KaiYuanSi)】

 鼓楼区経院巷に位置する開元寺は549年に建設され、当初は大雲寺と名づけられ、唐代初期では竜興寺と呼ばれたが、738年に玄宗李隆基によって開元寺と改められた。
 開元寺は福州市に現存する最古の仏教寺院の一つ。これまで何度か火災にみまわれ、1979年に改修されている。
 寺の入り口にある『開元寺』の横額は、唐代の書道家・欧陽洵により書かれたものと言われ、鉄佛殿内には鉄で鋳造された『阿弥陀佛』像がある。

空海の道  開元寺は空海が唐に渡って最初に入った寺院。福州市に現存する最古の仏教寺院。空海が留学僧として入唐したのは31歳だった。
804年
7月 6日 肥前国松浦郡田浦を出航。最澄は別船
8月10日 福州長渓県赤岸鎮に漂着、馬尾港からの上陸が許され、開元寺に滞在
10月 3日 福州入り
 福州を出発し、南平、建甌と過ごす。浦城−楓嶺関−仙霞関−二十八都鎮(高野豆腐の原点?)−江山−江郎山−杭州霊隠寺?−蘇州−寒山寺−霊巌寺(空海像)−常州天寧禅寺−鎮江の金山寺(日本味噌の原点?)−開封の開宝寺−相国寺−洛陽の白馬寺(空海像)−大福先寺−漢函谷関−魏函谷関−秦函谷関
12月23日 長安に到着
805年 8月10日 伝法灌頂を受け阿闍梨となる

空海像  地図上ではすぐ近くにあると思ったが、開元寺の入り口は反対側にあり、1ブロックほど回り込むように歩くことになった。開元寺の参道は南に延びていて、中国式の鳥居のようなものがある。ずいぶんと立派な寺だ。参道を歩いて寺の中へはいると、すぐ右手に錫杖を持った坊さんの像が立っている。いきなり空海ではないか。隣には空海入唐之地と書かれた石碑もある。すぐ横にある薬師堂に入ると、その柱にも空海の文字がある。薬師堂の裏には弘法大師法身塔もあった。日本でこそ空海は歴史上の人物だが、この寺においても空海が一角の人物であったことがわかる。開元寺は空海が長安に向かう途中、ちょっと立ち寄っただけのはずだ。
 次にタクシーで西湖にある福建省博物館へ向かった。すぐ近くなのだがこの運転手は道を間違え、遠回りすることになった。中国の幹線道はUターンや左折する場所が少なく、逆方向に転換できる場所は限られている。


福建省博物館 【福建省博物館(Fu jian sheng bo wu guan)】

 1953年4月に創設。西湖公園の中にある省クラスの総合博物館。
 福建省の歴史、自然、文化をテーマ別に紹介している。
 開館:8:00〜11:30、15:00〜18:00(月曜休館)、2008年3月から入場無料となっているようだ。この無料化で市民が殺到し、展示品などが破壊されて被害にあっている。


 博物館の手前のレストランで食事を取ってから福建省博物館へ向かった。博物館の前は人も少なく閑散としている。この日は休日ではなく月曜日だった。悪い予感がしたが、日本では月曜日と言えば館と名の付く公共施設はたいてい休みだ。果たして福建省博物館も休館だった。月曜日休みなのは世界標準なのだろうか。残念である。博物館はあきらめ、西湖公園を散策した。

西湖公園入口
【西湖公園入口】
   西湖公園
【西湖公園】

 タクシーに乗り西禅寺へ向かった。入場料が必要な寺だ。20元払って中へ入ると目指すは報恩塔(高さ67m)。かなり広い敷地で、池に架かった橋を渡る。池をのぞくと亀が泳いでいた。池の上にケーブルが浮いていたが、何匹もの亀がその上で甲羅干しをしていた。
 報恩塔は登ることができなかった。その隣にある五百羅漢堂もかなり大きな建物で、最上階に登ってみることにした。五百羅漢堂の最上階はバルコニーが無く、そのひとつ下にぐるりと一回りできるバルコニーがあった。そこからは福州市内を一望できる。福州市街は建設中の高層マンションも多く、遠くには山なみも続いていた。
 北駅のバスセンターへタクシーで戻り、バスで福清へ戻った。福清へ到着した頃にはすっかり日も落ちていた。夕食は火鍋を食べる。

開元寺 【西禅寺(XiChanSi)】

 もともと長慶寺と呼ばれた西禅寺は中国でも主要な寺院の一つで、福州五大禅宗寺院にも名を列ねる。南朝の梁に建てられたと伝えられている。
 寺院内には多くの建築物があり、玉佛楼内にはミャンマーから運んできた中国最大の大白玉佛2体が収められている。
 高さ67m、15階の報恩塔は1990年に完成。


五百羅漢堂
【五百羅漢堂】
   五百羅漢堂からの眺め
【五百羅漢堂からの眺め】

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《帰国》
【11月11日】
 帰国の日、ホテルで朝食を取ってから空港に向かうことになる。7時半きっかりに二階のレストランで朝食を取る。ここのバイキングは不味い。しかもドリンクもなく、水分はお粥だけだ。食事をしていると予定より早く林さんが迎えに来たので、急いで部屋に戻り荷物をまとめてチェックアウトした。
 ホテルからは再び白タクで福州空港へ向かった。運転手は来たときと同じ人だ。福州へ来た四日間でこの日が一番天気が良かった。朝から空は真っ青である。
 片側二車線ある道路の一車線にモミのようなものが敷き詰められている。これは何をしているのだろうか。ただ乾燥させているだけなのか、車に踏んでもらって脱穀をするためなのか、不明だ。運転手に聞いても知らないという。すると、その運転手は前の車を追い抜くべく、そのモミをがりがりと踏みつけながらその車線を走り抜けていった。

 福州空港に到着。先日着いたときは夜で照明も暗かったが、昼間は明るく綺麗な空港であることがわかる。搭乗手続きを済ませて保安検査に進む。虹橋空港では靴まで脱いだので、ここでも覚悟したがすんなり通過することができた。
10:55 福州発FM9522/S

上海行き  電光掲示板によるとFM9522は出発が20分ほど遅れることになっていた。搭乗口から見える駐機場に航空機の姿はなく、まだ到着していないようだ。20分と言うことはもう空を飛んでいるのだろうから、欠航と言うことはないだろう。遅延予定の通り20分遅れて飛び立った。
12:30 上海虹橋着
 虹橋空港に着くや案内版に従ってバス停に向かう。市内行きのバスはいくつかあるが、人民広場行きのバス停でバスが来るのを待つ。
 10分ほど待ってバスが来た。ここでの乗車は順番ではなく座席争奪戦だ。乗客が乗り込むとバスはすぐに走り出したが、数分でバス車庫のような所に到着。添乗員が何か叫んでいるが、降りて乗り換えろといっているようだ。満員の乗客はぞろぞろと降り、前の方に止まっている何台かのバスに乗り換えている。自分も適当な一台に乗り込んだ。あまり行き先を気にしなかったが、そのバスは終点の人民広場のターミナルに到着した。道は渋滞していたのでけっこう時間がかかった。バス料金は4元。
 浦東の乗り継ぎまであまり時間がなかったので、上海をうろうろすることがあまりできなくなった。南京路まで歩き、いつも混んでいる吉野家が空いていたのでここで昼食を取った。
 地下鉄で龍陽路駅まで行き、再び磁浮列車に乗ることにした。チケット売り場で航空チケットを見せなかったからか、料金は50元だった。10元余計に払ってちょっと後悔した。
17:05 上海浦東発CA0157/W
 通路側に座った。乗客は少なく三分の二くらいの乗機率。
21:00 成田着
 実際には予定より早く着いたようだ。税関を出て、リムジンバスの乗車手続きをすると、21:05発の横浜行きバスに乗ることができた。

終わり

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Camera:Canon IXY 910is,EOS KISS X2

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