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野山放浪長期休暇の旅 |
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5:50 |
横浜の自宅を出発。途中吉野屋で朝定食を食べ、行きつけのスタンドでガソリンを満タンにしてから、横浜ICに向かう。保土ヶ谷バイパスの横浜ICへの引き込み線へはいるや渋滞にはまる。わずか500mほどの横浜ICまでがやけに遠く、遅々として車は進まない。FMの渋滞情報によると、はじめは横浜IC入口の渋滞だけであったが、そのうちに本線の横浜・厚木間も渋滞してきたようだ。こりゃかなわんと、ようやく横浜IC料金所手前まで車が進んだところでUターンして、国道246号線で厚木ICに向かうことにした。この選択は正解で、246は実にスムーズに流れ、あっという間に厚木ICから東名高速に入ることができた。今回のドライブでの渋滞は、この横浜ICが最初で最後であった。 御殿場ICで降り、国道469号を目指し、愛鷹山の登山口である十里木へと向かう。 | ||||||
8:35 |
十里木到着 愛鷹山登山 | ||||||
11:00 |
十里木を出発。すぐに東名に乗ろうと思えば、富士ICが近いが、しばらく国道1号を走る。大井川を渡ったところで道が混みだしたので、相良牧ノ原ICから東名に乗った(13:27)。 | ||||||
16:20 |
名古屋ICを通過。東名阪から亀山ICへ向かう。亀山から天理までの国道25号は高速道路ではないが、100km/h以上のスピードが出せる無料の道なのでよく利用している。 天理ICから明石大橋まではハイウエイでつながっているが、ちまちまと何度も料金を取られる。天理(\400)、柏原本線(\400)、大和川(\700)、芦屋(\500)、須磨(\200)を通過し、いよいよ明石海峡大橋にさしかかる。すでに辺りは暗くなっており、交通量は少ないが、時速100kmであっという間に明石海峡を通過する。 | ||||||
19:30 |
淡路SA到着 明石海峡大橋を渡ってすぐのSA。橋を落ち着いて見るにはここに立ち寄るしかない。かなり広めの駐車場で、開催中の花博の宣伝が目に付く。早速、三脚を持って展望台へ行く。この夜景の写真のみは、一眼レフで長時間露光で撮影する。デジカメにはなかなかできない技だ。ちょうどこの期間の橋はライトアップされており、きれいに撮ることができた。
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鳴門IC通過。明石からの通行料金は\5,800−。いよいよ四国に上陸だ。明石自動車道と徳島自動車道はまだつながっていないのでいったん一般道を走る。最近四国の道はめざましく良くなってきている。そのためカーナビの情報が追いついていかず、藍住ICがまだないことになっている。そこで昔ながらの道標を頼りにしたルート選択となる。 |
21:14
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藍住ICから高速に乗り、吉野川SAで給油し、徳島自動車道から高知自動車道に移る。カーナビ上では道なき道を進んでいる。
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23:00 |
南国SA:車中泊 | |
5:00 | 南国SA出発。高知自動車道の現在の終点である伊野ICで降りて、国道33号沿いのコンビニで食料を調達。国道134号を北上し、寒風山トンネル目指す。その寒風山には新しいトンネルができていて、はじめは間違って一気に愛媛県側まで行ってしまった。急遽Uターンして高知県側まで戻り、旧道となった寒風山トンネルへの分岐から入っていく。七曲がりのこの道は車一台が通るのがやっとの道で、対向車が来れば果てしなくバックしなければならない。時間が早いためか、幸いにして対向車は来なかったため事なきを得た。 |
7:00 |
寒風山トンネル到着 伊予富士登山 |
9:25 | 寒風山トンネル |
11:00 | 中追渓谷観光温泉。高知に温泉は少ないが、旅行情報誌でこの温泉があることは調べていた。高知市に戻る途中に立ち寄った。ここも断崖絶壁にある細い道を通らなければならなかった。温泉の料金は\600、半券は入園料となっているが、渓谷をながめる公園の中に温泉がある。多少うらぶれた感じの温泉ではあるが、汚くはなかった。 |
13:15 |
桂浜到着。予報通り雨が降ってきた。この雨は夜まで続くが、GW中雨が降ったのはこの時だけだった。登山中の雨は困るが、観光中なら降っても影響はない。うまい具合にスケジュールが組めた。 桂浜の駐車場では意外なことに料金(\400)を取られた。あとから気づいたが、近くの坂本龍馬記念館の駐車場に止めておけばタダであった。桂浜の駐車場から、にぎわう土産物屋の建物を通り過ぎ、小高い丘を登っていくと坂本龍馬の銅像【写真】がある。台座や本体も思いの外大きかった。多くの観光客が写真を撮りまくっている。 桂浜の方へ降りていく【写真】。今回、高知を訪れたのは、司馬遼太郎の『龍馬が行く』と『功名が辻』を読んだ影響が強い。関ヶ原の行賞で土佐24万国を得た山内一豊が初めて土佐に上陸したのがこの桂浜となっている。 再び丘を登っていき、坂本龍馬記念館へと歩いていく。高知県立の記念館の建物は近代的なガラス張りの作りである。入館料は\400-。館内は7つのステージごとに龍馬の生涯を紹介しているが、あまり真新しいものはなかった。 駐車場に戻り、浦戸大橋(\260)を渡り、高知市街の高知城へと向かった。 |
15:20 |
高知城入場。車は宿泊するホテルに置いて、かなりの雨が降るなか歩いて高知城へ入った。高知城は1601年に山内一豊が築城した。昭和初期に国宝に指定されているが、後に重要文化財となる。天守閣へは昔ながらの階段で、梯子のように急である。眺めは良く、高知市内が一望できる。 城の追手門を入ったところには板垣退助の銅像があったが、その横の階段を上っていくと、千代夫人と馬の像【写真】がある。これは『功名が辻』を読んでいればよく分かるが、一豊の夫人千代が黄金10枚のへそくりでこの馬を買い与えたもので、この名馬を得た一豊は二千国取りから土佐二十四万国取りに至るまでの足がかりを得るのである。物語自体は千代夫人が主人公となっている。 |
16:22 | ホテルチェックイン。 |
8:00 | ホテルチェックアウト。伊野町紙の博物館へ向かった。伊野町は土佐和紙発祥の地である。月曜休館であることは分かっていたが、GW中は開いているだろうと思い立ち寄った。しかしながらしっかり休館であった。近くの「土佐観光物産センターレストパーク伊野」でお土産を買って、昨日も通った新寒風山トンネル経由で今治市へ向かった。 |
12:20 |
今治IC通過。四国と九州は陸路がないので、平成11年に開通した瀬戸内しまなみ海道を渡って本州へ向かう。しまなみ海道は6つの島を7つの橋を架けて本土を結んでいる。最初の来島海峡大橋【写真】では、人や自転車も通ることができるようだ。天気がいいため気持ちが良さそうだ。長大な橋を歩いて渡るのもたいへんだろうが。 しまなみ海道の橋は完成しているものの、大島、生口島のハイウエイ部分が完成していないため、両島ではいったん料金所を出て、島内の国道を走り、再びハイウエイにはいることになる。全線の料金は、今治(\2,050)+生口島南(\1,750)+向島本線(\1,450)=\5,250 |
14:57 |
志和IC通過。尾道からは国道2号線を走っていたが、広島市内は混むだろうからその手前の志和ICから山陽自動車道に入る。岩国ICで自動車道を降り、国道2号を走り、再び下関ICから高速に乗る。福岡の実家には21時半頃に到着。 |
7:00 | 福岡出発 |
10:40 | 北九州市の門司へ向かった。門司は港町として栄えたが、今は衰退した感がある。僕が福岡在住時に訪れたことはなかったが、その後門司港レトロとして観光地化されていた。はね橋ブルーウイングもじ【写真左】を渡り、旧大阪商船や門司港駅、レトロ展望台【写真中央】を訪れた。展望台からは下関がよく見え、関門海峡をひっきりなしに船舶が往来しているのがよく見える。尊皇攘夷の頃、長州藩はこの海峡を渡る外国船に砲撃し、逆に砲台を占領されたのは歴史で学んだ。 |
14:30 | 次に向かったのは小倉城である。小倉城は慶長7年(1602年)、細川忠興が築城した。先の高知城と同じ時期である。昭和34年に再建したものであるが、天守閣の中は当時の様子を分かりやすく紹介している。ジオラマや模型や映像を使って、子供でも見て楽しめる内容となっており、滅多にない楽しめる城である。 |
10:00 |
福岡の実家での二日目は佐賀へ向かった。早良区の実家からは、国道263号線を南下し、三ツ瀬トンネルを抜けるとそこは佐賀県で、さらに30分ほどで佐賀市内に入る。佐賀といえば、今でこそ落ちぶれているが、佐賀藩鍋島家の時代は国内でも最高レベルの洋式陸海軍と工業力を持っていた。司馬遼太郎の『アームストロング砲』によると、当時世界最新の高性能大砲が佐賀で作られ、彰義隊を壊滅せしめたことになっている。 そのアームストロング砲を一目見たいと思い佐賀に向かったのであるが、その砲がどこにあるのかは分からなかった。最初に向かったのは県立博物館である。いきなり博物館の前に大砲が置かれていたが、それはアームストロング砲ではなかった。館内に入り、無料となった常設展を見学する。常設展では縄文時代から現代に至るまでの佐賀の歴史を資料とともに説明している。興味があるのはやはり幕末の頃の時代だ。 常設展を見終わり、美術館につながる通路を歩いていると、アームストロング砲が無造作に置いてあった【写真】。これは、佐賀藩で作ったものではなく、英国から輸入したものであった。説明によると、佐賀藩で製造できたかは不明とあった。 |
11:00 | 佐賀城は慶長13年にそれまであった村中城を整備拡張したものであるが、現存するのは鯱の門【写真】だけである。天守閣は再建されずに広大な土地がいまだに空き地となっている。 |
11:40 | 佐賀で最も有名なのは、今では吉野ヶ里遺跡【写真】であろう。11年前にも訪れているが、近くなので寄ってみることにした。吉野ヶ里遺跡は全国で16番目の国営公園として整備が進んでいる。物見櫓の上に立つことができ、周囲を見渡すと、たいした高さではないものの、佐賀平野が一望できた。縄文時代から現代に至るまでたいした開発が行われていない土地だけに、当時と同じ眺めであると思われる。 |
14:20 | 大分県の中津城へ行った。中津城は九州を平定した黒田孝高が天正16年(1588年)に築いた。その子長政は関ヶ原の戦功で福岡52万石に転封されている。中津城は歴史の舞台にほとんど出てこない。中津といえば、福沢諭吉の出身と言うことが有名であろう。 |
9:20 |
福岡での最終日は、福智山を登ることにした。登山口は焼き物の里である上野(あがの)である。そこはたまたま昨年訪れていた。その同じ駐車場(無料)に車を止めることになった。 福智山登山 |
13:15 | 香春町の柿下温泉で汗を流す。 |
20:00 | 新門司港発。名門大洋フェリーに乗り込み、翌日の朝には大阪に着くはずだ。何度か車で福岡まで帰っているが、フェリーを使うのは今回が初めてで、かなり楽ができる。料金も\18,860(JAF会員証の提示で安くなるが、部屋のランクを上げた)と、高速料金+ガソリン代を考えるとそれほど変わらない。なにより夜足を伸ばして寝られるというのがいい。【写真】は神戸行きのフェリー |
8:00 | 大阪南港到着。天理経由の亀山までは一般道をひたすら走る。 |
10:54 | 亀山IC通過。高速に乗っても横浜目指してひたすら走る。 |
12:13 | 名古屋IC通過 |
16:10 | 横浜の自宅に到着。東名の渋滞は全くなかった。 |
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