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岩石山-福岡県の山 岩石山-福岡県の山 秀吉が攻め落とした山城登山 秀吉が攻め落とした山城登山 【山頂付近の国見岩】
コース(タイム)公園駐車場(10:06)-迷い道-(10:30)登山口-一ノ滝-(11:15)岩石山-(11:33)国見岩-(11:44)奥の院-(12:28)公園駐車場
《山概略》
《岩石山へ》 添田公園駐車場に岩石山案内図がある。山頂へのコースルートが描かれているが、どうもわかりにくい。とりあえず公園の前を左へ進んだ。住宅地の道はわかりにくい。保育園のフェンスに沿って進むと地面の道に続いたのでそこを進んだ。すると墓地のようなところに入り込み、そこを抜けるとまた住宅地になった。山を回り込むように歩いて行くと車道に出て、ふるさと林道という石碑がある。どうも道が違うようで、来た道を戻り、住宅地の中へ入った。どこかに指導標があるはずだと注意深く探しながら歩いていると、少し入り込んだ細い道に人面岩参道・岩石山の文字を見つけた。 細い道を進み、人の家の裏庭のようなところを通り抜けるとようやく山道になる。周囲は照葉樹林で道は落ち葉で埋め尽くされている。小川を横切り、登り坂になる。ところどころに地蔵の祠があり、人面岩という大きな岩がある。あまり人の面には見えない。そして三の滝だろうか、ちょろちょろと水が流れ落ちている。
一の滝への分岐があり、すこし立ち寄ってみたが、滝らしきものを確認することはできなかった。この時期は渇水の時期なのだろうか。分岐に戻ると、その先は鎖があり、岩の間を通り抜ける難所である。針ノ耳というらしい。体勢を低くしてザックを岩に擦りながら通過した。
山頂まで110mの標識。天狗岩があり、岩の上に乗ると添田の町が一望できるようだが真っ白で何も見えない。道は山頂と本丸跡に分かれるが、本丸跡に立ち寄ることにした。山頂の南側の少し広くなったところが本丸跡のようだ。石垣も残っていると案内板には書かれていたが、それらしきものは確認できなかった。 本丸跡を通り抜けても山頂へは行くことができた。岩石山頂(454m)の標識には温度計がかかっていて5度を示していた。また、山頂の土地の多くを占めているのが、しっかりとした基礎の上に立つ展望台である。上に登ってみたがあいにくガスがかかっていたので展望は全く見ることができなかった。
山頂からはいくつも道が分かれるが、国見岩の方へ行ってみることにした。途中馬場跡があるが、今や木が生い茂り、馬が自由に動き回れる場所はない。馬場跡の先に国見岩がある。巨岩がまとまって存在し、梵字岩や獅子岩と名付けられた岩もある。岩の上からは四方が見渡せ、物見櫓の役割を果たしたのだろうが、この日は数メートル先が真っ白だ。
いったん山頂まで戻り、どの道から下るか迷ったが奥の院の方へ行ってみることにした。柱穴という場所を通り、指導標に従い奥の院へ。開けた場所に奥の院の祠やドーム型の休憩舎みたいなのがあった。後から来たおばさん達が迷わずその休憩舎に入り、机の上のノートに何か書き込んでいた。 奥の院の鳥居をくぐり、階段を下った。正面には添田の町が見えるはずだが相変わらず何も見えない。階段から山道に変わり、道なりに下った。登りの時よりこちらの方が歩きやすい。城のあった時代もこの道が登城口だったのだろう。
山の中腹に三角点があり、それを過ぎると舗装道にでる。舗装道を下っていると別の登山口もあった。そしてその先に突然城が現れる。当時の城よりはるかに立派な城だろう。金持ちが道楽で建てたものかと思ったが、公共施設だった。 再び山道に入り、下っていくと岩石城武将の碑がある。熊井越中守久重の碑と芥田悪六兵衛の碑である。岩石城を守備した武将であるが秀吉軍に対し討ち死にしている。その二つの石碑は現在の岩石城を見上げるようにたたずんでいた。 添田神社の境内を通り抜け、鳥居をくぐると目の前は駐車場である。下りはあっけなくゴールすることができた。
下山後の温泉は赤村の源じいの森温泉へ向かった。近くには道の駅おおとう桜街道にも温泉があるが、ここは以前行ったことがある。今回初めての源じいの森温泉へ行くことにした。筑豊鉄道の源じいの森駅の近くだが、かなりへんぴなところにある。しかし駐車場は満車状態で、運良く空いた場所に駐めることができた。年末年始の温泉はどこも混んでいる。冷えた体を温め、実家へ帰った。
Camera:CANON PowerShot S100
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